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管輅(かんろ)とはどんな人?全ての占いを極めた天才占い師

2016年1月24日


 

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三国志の時代の占いには風占いや夢占いなどの占いに精通した人物が多数いました。

今回紹介する魏の管輅(かんろ)は風占い・天文占い・人相見などほとんどの占いを極めますが、

カメの甲羅を焼いてその亀裂で占う方法と筮竹を用いる二つの方法を組み合わせた卜噬を得意とします。

彼は占いの天才でありますが、学問にも非常に優れた人物です

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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星座大好きな幼少期

 

管輅は幼い時から好奇心旺盛な人でした。

彼が8歳の時、夜空を仰ぎ両親や知り合いの人に星の名を聞き、一晩中起きていました。

両親は彼がずっと星座を見ている事を心配し「公明(管輅のあざな)よる星を見てはだめだよ」

と注意します。

彼は両親から注意を受けるも「ぼく夜空に浮かぶ星を見るのが好きだからいいでしょう。」と反論。

管輅はその後も夜空を毎晩眺めます。

 

数年で師を超える

 

管輅は父が徐州の瑯邪(ろうや)国の県長になったため、父の任地に付いていきます。

管輅は「天文占い」の達人である郭恩が瑯邪にいたので、彼について学ぶことを決めます。

師について数十日後、天文占いを完璧にマスター。

物事を占わせれば外れる事無く当てていきます。

一年後には天文占いを極め、師であった郭恩が天文について管輅にあれこれと聞くようになります。

 

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人相見の占いで足の悪い原因を言い当てる

 

郭恩は以前から足の調子が悪く悩んでいました。

そこで弟子である管輅に足が悪い原因を占って欲しいと依頼します。

彼は師の依頼を快く受け、人相見の占いを開始。

占いの結果郭恩の足が悪い原因が判明します。

その原因は彼らが以前飢饉にあった時、食料を奪うため

父の兄弟の奥さんを井戸に放り込んで、殺害した事が原因だと分かりました。

郭恩は管輅の占いを聞きき、涙を流しながら「その通りだ」と頷きます。

郭恩は井戸の底に眠っている父の兄弟の奥さんを丁重に弔ったそうです。

 

鍾毓(しょういく)と「易」について語り合う

 

管輅はその後魏に仕えます。

鍾会(しょうかい)の兄貴である鍾毓(しょういく)と仲が良く色々な事を語り、

遊びに行ったりしておりました。

管輅はある日鍾毓と「易」について語り合います。

「易」とは古代中国から存在する陰陽を用いた占い方法です。

このやり方について二人で論じ合いますが、話は平行線のままでした。

 

誕生日を「易」で見事に当てる

 

管輅は自らの論が正しい事を証明するため

鍾毓に「易を用いてあなたの生死を占いましょう」といいます。

鍾毓は試しに「では私の誕生日をあててくれないか」と笑いながら問います。

管輅は見事に鍾毓の誕生日を一日の狂いなくぴたりと言い当てます。

鍾毓は誕生日を当てた管輅にビックリして

「あなたは恐ろしい人だ。だけど私が死ぬ日は聞かないでおくよ」

と言い死ぬ日は聞きませんでした。

 

何晏と「易」について語り合う

 

時の権力者曹爽の側近である何晏(かあん)は「易」についてかなり詳しく

管輅を招いて「易」について語り合います。

「易」について語り終わった後、何晏は管輅に「私は高位の位である三公の

位に就きたいのだが、最近私の鼻先に蠅が集まってくる夢を見るのだが

どのような事なのか占ってくれないか」と最近見た夢について相談します。

 

時の権力者に媚びずにはっきりと注意を促す

 

管輅は夢占いの結果を彼に伝えます。

「あなたは位も権威も非常に高いがあなたを慕う人は少ない。

今の状態は福を求める道ではない。位が高くなっても他人を侮り、

驕るものは必ず滅びます。周の文王や孔子らが「易」について

語り合った事を思い出しなさい。そうすれば三公に登る事も可能ですし、

鼻先に集まる蠅を追い払うこともできます。」と彼に注意を促します。

何晏は彼の言葉に満足し、お礼を伝えてその場を去ります。

 

叔父に厳しく追及される

 

管輅は家に帰ると、たまたま叔父が来ていたので何晏との会見の模様を伝えます。

叔父は「何晏にそのようなはっきりとした物言いをして大丈夫か」

と心配を口にします。

すると管輅は「彼はもうすぐ亡くなるから大丈夫です。」

と笑いながら自らの予言を口にします。

彼の予言は的中し、数十日後何晏は曹爽と共に殺されてしまいます。

 

自らの人相を見て死期を悟る

 

管輅は魏に仕え実務をこなして実績を上げていくと同時に

占いの達人としても名声を得ておりました。

そんなある日、管輅の自宅に弟がやってきます。

弟は彼に「兄上。司馬昭様が兄上を褒めておりました。近い将来

高い官職に就けるのではありませんか」と彼に告げます。

管輅は弟に「私には才能があるのは分かっている。しかし私は来年

死んでしまうのだ」とため息交じりに語ります。

弟は「兄上。なぜそのように思うのです。」と死期の理由を尋ねます。

すると彼は「私には額に生骨が無く、目には守勢が無い。また鼻に梁柱が無く

足に天根がないのだ。これらは人の寿命を表すもので、私にはこれらが

無いのだ。これまで人相を見て、もうすぐ死ぬであろうと判断した人は

数百人を超えるが、外れたことがないんだ。」

と悲しげに弟に自らの人相の占いの結果を伝えます。

そして管輅の予言通り、翌年に亡くなってしまうのです。

 

三国志ライター 黒田廉の独り言

黒田廉

 

彼は占い師としても天才でありましたが、議論をさせても天下一でした。

管輅が若い頃に行ったエピソードが残っているので紹介します。

彼が徐州に住んでいた頃、数百人の論客を相手に五行説を議論した。

論客らは反論するも彼の丁寧で分かりやすい反論に太刀打ちできず

論破されます。この噂が広まり、徐州の人々は彼を神童と呼び、褒め称えます。

このような天才型の人物でありましたが、寿命は短く、亡くなった時

周囲の人々はその才能を惜しみ悲しんだそうです。

今回のお話はこれでおしまいにゃ。次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう

それじゃまたにゃ~

 

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