過去に起きた出来事や、その時に発せられた印象的な言葉で、
現在まで、語り伝えられている事柄を故事成語と言います。
故事成語には、日本では余り知られていないモノもありますが、
今回はその中でも割合メジャーな水魚(すいぎょ)の交わりについて解説します。
水魚の交わりとは、どういう意味か?
水魚の交わりとは、水と魚という言葉でも分かる通り、
お互いにとって、なくてはならない存在の事を意味します。
魚は水なしでは生きられませんから、どうしても
水の中にいなければいけないという事です。
その事から、二人の人間が、常に一緒で片時も離れない、
またいつも一緒で仲睦まじい様子を水魚の交わりと表現します。
水魚の交わりという言葉はどうして生まれたの?
この言葉は、三国志の時代である西暦208年頃に荊州で生まれます。
当時、荊州牧の劉表(りゅうひょう)の客将だった劉備(りゅうび)は、
隆中(りゅうちゅう)という田舎で、天才軍師の諸葛亮孔明
(しょかつりょうこうめい)を三回も訪問し、これを軍師として迎えました。
それからというもの、劉備は孔明と語り合って尽くせず、
どこへ行くにも一緒という状態になったのです。
しかし、仲が良い二人を遠くから恨めしそうな顔で
見ている二人の人影がありました。
それは劉備が旗揚げした時からの義兄弟である、
張飛「しくしくしく・・・・」
関羽「あら、何を泣いているの張子(ちょうこ)さん」
張飛「これが泣かずにいられるかい・・
じゃない、泣かないですむもんですか!関子(かんこ)さん!
あたい達の兄者が孔明に取られているのよ」
関羽「そりゃあ、最近の兄者は、口を開けば孔明、孔明だけど
いずれ、落ち着いて普通になるわよ」
張飛「ふん、随分冷たいのね、関子さん、ああ、そう言えば、
あなたには、曹操(そうそう)さんもいるものね、
どうでもいいんでしょ?兄者の事なんかさっ!」
関羽「なにをっ!!・・じゃない、何ですって!!
バカ張子! あれは曹操が言い寄ってくるだけだからね!
ちっとも好きじゃないんだからね!
拙者、、じゃない、、関子だって兄者一途なのよ」
張飛「なら、あたいと一緒に兄者に文句言いにいきましょ
あたいたちと孔明とどっちが大事なんだ!って聞いてやるのよ」
余りにも孔明と親しい劉備にジェラシー全開の
関羽と張飛は揃って劉備に文句を言いにいきます。
関羽「兄者!幾らなんだって、毎日、毎日、
孔明とベタベタし過ぎではなくて?」
張飛「昔は、いつも三人一緒のベットだったのに!
どうして、毎日、孔明、孔明なの!キーッ!」
劉備「おお、すまない、お前達、だが許してくれ、私と孔明は、
水と魚、お互いがいないと生きられないのだよ」
関羽・張飛「なーんだ!じゃあ、大丈夫でーす!!」
何で、関羽と張飛はあっさり納得したのか?
自分達と孔明とどっちが大事だと詰め寄られた劉備は、
ここで、水魚の交わりという言葉を出します。
それで、関羽と張飛はあっさり納得してしまうのですが、
何で、これだけで納得するのか不思議ですよね?
実は水魚の交わりには、もう一つの意味があるのです。
魚とは、恋人、配偶者という暗喩
実は、魚は繁殖力の強い生き物である事から、生産的な関係、
つまり、配偶者、恋人という裏の意味を持っているのです。
劉備にとっての孔明は女房や恋人であるから、四六時中一緒にいても
当たり前、だから、嫉妬してくれるな兄弟達よ。
水魚の交わりとは、そういう意味を含んだ言葉なのです。
ザックリ言うと、君達は私の兄弟、孔明は嫁、
立場が違うよ、と劉備は言いたかったのです。
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三国志ライターkawausoの独り言
一般に水魚の交わりは、お互いに必要で離れられない
関係として、とらえられます。
一般に言う、水を得た魚も、この水魚の交わりに似ていて、
ある環境に入った人が、存分に力を発揮するという意味でもあります。
ただ、その隠喩として、恋人や配偶者との関係性があるというのは、
余り知られていないのではないでしょうか?
個人的に気になるのは、劉備が水魚の交わりと言った時に、
孔明はどんな顔をしていたのだろうという事です。
案外、孔明の入れ知恵で劉備がそう言っていたりしてね。