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この記事の目次
妻子と領地を捨てて劉邦(りゅうほう)に味方する
劉邦(りゅうほう)は黥布と項羽の関係性が悪化している事に目を付け、彼を味方に付けようと試みます。劉邦は随何(ずいか)を黥布の元に派遣。随何は黥布の元に着くと、漢と楚を取り巻く諸侯の情勢や漢と楚の勢力差など様々な点から分析。
そして漢軍が有利であることを黥布に伝え、味方に付くように説得します。しかし黥布は首を縦に振りません。そんな中項羽の使者が黥布の元へやってきます。随何は項羽の使者が黥布の元に来たことを知ると、項羽の使者を斬り殺し、黥布に劉邦の味方するよう脅迫。
黥布は項羽の使者を斬り殺した随何に従い劉邦の味方として参戦します。項羽は自らの使者が斬り殺された事に激怒し、項声(こうせい)と竜且(りゅうしょ)二人の将軍に大軍を持たせ黥布の領地へ侵攻させます。黥布は項羽軍を迎撃するため出陣しますが敗北。そのまま領地と妻子を捨てて、随何と共に劉邦の元に赴きます。
漢が天下統一を果たすと再び王へ
劉邦はその後項羽軍と激闘を繰り広げ、ついに項羽を垓下の戦いで破ります。その後項羽は烏江(うこう)のほとりで自害します。こうして漢が天下統一を果たします。劉邦は領地と妻子を捨てて味方した黥布に淮南王の位を与え、旧領の六を首都にするよう命じます。こうして黥布は再び王として返り咲きます。
次々と功臣が消えていく
劉邦は天下統一を果たすと功臣達に罪を着せ、次々と消していきます。まず、劉邦の天下統一に一番貢献した、韓信が謀反の罪を着せられ、処断されます。その二カ月後梁王(りょうおう)である彭越(ほうえつ)が謀反を企んだ罪で処断。
この時切り刻まれた彭越の肉の一部が、諸侯に配られます。この時黥布にも切り刻まれた彭越の肉の一部が送られてきます。黥布は切り刻まれた彭越の肉を見たとき「次は俺の番だな」と呟きます。
謀反の準備を始める
黥布は次に疑われる可能性が高いのは自分だと予測し、反乱を起こす準備を始めます。しかし黥布の部下が劉邦に密告。こうして黥布の謀反は劉邦に知れてしまいます。しかし黥布は堂々と反乱の準備を整え、ついに挙兵します。
劉邦軍を破り、勢いをつける
劉邦は黥布が謀反を起こすと劉賈(りゅうか)と劉交(りゅうこう)の二人に軍勢を授けます。しかし黥布は劉賈を討ち取り、劉交の軍勢を破ります。劉邦軍を打ち破った黥布軍の兵士の士気は大いに上がります。劉邦は二人がやられると自ら軍を率いて反乱を起こした黥布討伐へ出陣します。
猛将黥布の真骨頂
黥布は劉邦自ら出陣してくると、迎撃の陣を敷きます。彼がこの時用いた迎撃の陣形は、項羽が使っていた陣形でした。劉邦は黥布の陣形を見て、彼を大いに憎み、猛攻を仕掛けます。
黥布は自信満々で劉邦軍の猛攻を受け切り、劉邦を負傷させます。こうして激闘を繰り広げる事数時間、この日は決着が着かず、互いに退きます。黥布はその後も劉邦軍を幾度か破り、猛将としての真骨頂を劉邦に見せつけます。
だまし討ちに会い殺される
黥布は半年以上漢の大軍と戦い続け、勝利を重ねていましたが、漢が次々と大軍を導入し、ついに黥布は敗れてしまいます。彼は城を脱出し、共に挙兵した呉芮(ごぜい)の息子呉臣(ごしん)の元に身を寄せます。しかし呉臣は黥布と関わるのを嫌がり、彼を民家に閉じ込め斬殺します。こうして入れ墨を入れた王の最後は、味方の裏切りによって幕を閉じます。
三国志ライター黒田廉の独り言
楚の猛将として名を馳せた将軍としても有名黥布ですが、顔に入れ墨を入れた王として私が思うに中国の歴史史上初の王でも後世に名を残した人です。しかし劉邦は天下統一前と天下統一後では人物が変わりすぎて到底同一人物だとは思われませんね。
天下統一前は器が大きく、人を引きつけるカリスマ性に溢れた人物でしたが、天下統一後は猜疑心が深くなり、漢建国の立役者であった韓信(かんしん)・彭越が滅ぼしていきます。
韓信や彭越は謀反を起こさず捕虜となって処断されてしまいますが、黥布は正々堂々と挙兵し、彼に対して対抗します。黥布は敗れてしまいますが、劉邦の猜疑心に真っ向から挑んだ王として私は好きな人物です。
今回の楚漢戦争時代のお話はこれでおしまいにゃ。次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。
それじゃまたにゃ~
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