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この記事の目次
項羽に仕えた猛将
黥布は項梁の死後、項梁の甥である項羽に仕えます。彼は項羽の元でも常に先鋒として戦い続け、「猛将」黥布の名を内外に広めていきます。彼は少数精鋭の軍で常に敵陣へ最初に突撃し、勝利を得ていきます。
鉅鹿の戦い
項羽は秦に包囲されている趙を救出すべく出陣します。黥布はこの時も楚軍の先鋒として、鉅鹿の地で秦軍に攻撃を仕掛けます。しかし秦の大軍の前に常勝を誇ってきた黥布の先鋒隊も苦戦。項羽は黥布が苦戦していると知り、全軍を率いて鉅鹿へ向かいます。
その後黥布は援軍に現れた項羽の軍勢と共に秦の軍勢を打ち破ります。項羽は少数の軍勢で秦軍を撃破した事で、諸侯から人気を得ます。
人が嫌がる仕事を引き受ける黥布
項羽は秦軍に勝利した後、秦の名将章邯を降伏させます。章邯はこの時、秦兵20万人ほどの兵力と共に項羽に降伏します。項羽は章邯の降伏を喜びますが、秦兵20万の降伏は喜びませんでした。
その理由は、彼ら20万の兵士がいつ裏切るか分からない事と兵を喰わせる兵糧が少なく困っていた事が原因です。そのため項羽は秦兵20万を生き埋めにしようと考えます。黥布は項羽の計画を知り、「俺にやらせてください」と率先して名乗り出ます。
項羽は黥布の積極的な姿勢を喜び、彼に秦兵20万人を穴に埋めるように命じます。黥布はとんでもない大きさの穴を秦兵20万人に掘らせた後、彼らをその穴の中に突き落とし、埋めます。こうして人が嫌がる仕事を率先してやることで、項羽に気に入られていきます。
入れ墨をした王の誕生
黥布は戦では常に先鋒として敵陣を撃破し、人の嫌がる仕事も率先してこなしていき、実績を積み上げていきます。こうして実績を積み上げた成果がついに実ります。項羽は秦を滅ぼし、関中へ入ると論功行賞を行います。
主に鉅鹿の戦いに参加した諸侯を王に命じていきます。この時項羽は黥布のこれまでの実績を認め、彼を出身地の六(りく)の地を都とした九江(きゅうこう)王に任命します。こうして昔予言された通り「顔に入れ墨を入れられた後、王になる」と言われた予言を実現させます。
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項羽との溝が深まる黥布
黥布は王になった後、項羽の命令を無視し始めます。項羽は斉王田栄と敵対した時、黥布に出陣するよう命令します。しかし黥布は病と称して、自ら軍を率いて出陣せず、部下に軍勢を任せて派遣。項羽は黥布自ら出陣しない事に不満を持ち始めます。
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