2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の主人公、真田信繁(幸村)と言えば、
真紅の鎧兜と、特徴的な、兜の前にある6枚の銅銭ですよね?
あれって、どういう意味があるか知っていますか?
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この記事の目次
武将のパーソナルな部分を演出する兜の前立て
戦国武将の兜についている飾りは、正式には前立て(まえたて)と言います。
武将達は自分を強く見せると同時に、己の個性を出して、
ぶっちゃけ戦場で目立つ為に、奇抜な前立てを次々考案して戦場でかぶったのです。
命懸けだからこそ自分を目立たせたい。
戦国の男達は、目立ちたがり屋が圧倒的に多かった事になります。
真田の前立て六文銭(ろくもんせん)は、覚悟の証
では、真田一族がかぶる、あの六枚の銅銭の前立てには、
どんな意味があるのでしょう?
実は、あの銅銭は六文銭と呼ばれて、三途の川の渡し賃なのです。
仏教の世界観では人は死ぬと、三途の川という大きな川の前に行きます。
ここを超えると、人は死が確定して、あの世の住人になるのです。
そこには、船があるのですが、レンタル料として、六文銭を払う決まりです。
もし、六文銭を支払わないと、その川岸にいる、脱衣婆という婆さんに、
六文銭の代わりに衣服を剥ぎ取られて、裸で川を渡る羽目になります。
あの世に行って、裸にされるのは嫌なので、死者の着物には、
あらかじめ、六文銭を縫いこんでいたようです。
つまり、真田の前立てには
「俺は、いつでも冥土に行く覚悟があるんだぜェ、ワイルドだろう?」
という命を惜しまずに戦うという意味があるのです。
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織田の前立て、トンボの意味は?
戦国時代を統一寸前まで持っていった革命児、織田信長、、
彼の兜の前立てには、トンボをモチーフにしたものがあります。
これは、一体、どういう意味なのでしょうか?
実は、トンボは別名を勝ち虫といい、前に進む事は出来ても
背を向けて、後退する事が出来ません。
つまり、退く時は前を向いたまま、車のようにバックします。
それから、トンボは、行った道と同じ軌道を通って、
戻ってくるという習性を持っています。
その事から、戦から無事に帰還する縁起の良い虫として、
兜の前立てにしたのです。
トンボに限らず、毛虫や、ムカデ、蟹のような、
昆虫や甲虫を前立てにしている兜は、全て、
敵に背中を見せないという縁起を担いでいるものが多いようです。
秀吉はダジャレが好きだった?あの兜の意味は・・
豊臣秀吉と言えば、放射状に伸びる幾つもの線がビジュアル化された
ハデハデな兜がありますが、あれにも意味があります。
私は、てっきり、母親が日輪を飲みこむ夢を見て生まれたという、
秀吉の出生伝説から、太陽の光をデザインしたと思っていましたが、
実はアレは、太陽光ではなく、馬蘭(バレン)という菖蒲(しょうぶ)の一種です。
え?だから、何で菖蒲が兜の光背についているのかだって?
んもー、鈍いなあ、皆さんは・・・・
馬蘭は菖蒲の一種、しょうぶと言えば、勝負、、
勝負と言えば戦、、つまり、菖蒲に勝つ!!だからなのです。
そう、菖蒲と勝負を掛けたダジャレが、あの兜の正体です。
秀吉は戦国時代のダジャレ王だったわけです。
家康の性格が見える、あの歯朶(しだ)の前立ては?
さて、真田信繁の最強の敵となる、徳川家康の兜の前立てには、
どのような意味があるのでしょうか?
後期の家康の兜には、頭巾型の兜に、歯朶の前立てというものがあります。
家康の兜の頭巾は、七福神の大黒天の頭巾をモチーフにしています。
今でこそ、打ち出の小槌を持った、ふくよかな金持ちのお爺さん大黒天は、
元々は、戦争の神で、その強さに家康は、あやかったからです。
一方の前立ての歯朶には、寿命と子孫繁栄の意味があるようです。
秀吉が病気で死ぬのを待つと決意した家康の執念
家康が歯朶の前立てを使い出した頃、
彼は、豊臣秀吉の子分になっていました。
小牧・長久手の戦いでは、秀吉に勝利した家康ですが、
秀吉は、すでに全国の大名を抱き込んでいて、
敵対するのは得策ではないと判断したのです。
しかし、家康は、もちろん天下を諦めません。
そこで、自身が長生きして、子孫を多く残し、
子供が少ない秀吉が寿命で死ぬのを待とうと考えます。
そこで、家康は、兜の前立てを歯朶にして、
自身の長寿と、子孫繁栄を密かな願いとしました。
壮年期からは、水泳や鷹狩りに精を出し、一方で、
漢方薬の調合を自ら行うなど薬マニアになった家康は、
74歳という当時としては、長寿を全うします。
一方の秀吉は、天下を取ってからは、贅沢な生活をして
健康を損ね、62歳で死んでいます。
さらに、息子は、僅か6歳の秀頼一人だった為に、
天下は、徳川氏の元へ転がり込む事になるのです。
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真田丸ライターkawausoの独り言
真田の六文銭には異説があります。
信繁の祖父の真田幸隆(ゆきたか)の時代の事です。
幸隆は、武田サイドの武将として、ある敵城に忍びこんで、
夜襲をかけてこれを陥落させました。
その時、味方になり済ます為に、ある敵将の旗を失敬して、
使用していたようですが、それが、たまたま六文銭のデザインでした。
幸隆は、これを変えず、以後も、そのまま、六文銭の旗を使い続け、
いつしか、それが真田の旗印になったそうです。
真偽不明ですが、本当だったら、どこまで人を喰った一族なんでしょうか?
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