曹操(そうそう)は500の歩兵と騎兵の混合部隊を率いて呂布(りょふ)軍に攻撃を開始。
呂布は陳宮(ちんきゅう)の制止を振り切り、曹操軍に単騎で切り込んでいきます。
呂布は曹操軍の中に曹操を発見。
彼は曹操めがけて渾身の一撃を見舞いますが、躱されてしまいます。
呂布はそのまま曹操を追撃。
陳宮は夏侯惇率いる曹操軍の対応する軍と呂布の後を追う軍勢とに分けます。
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呂布を罠に嵌めるが…
曹操は郭嘉(かくか)の進言通り自らが囮となることで、呂布を引きずり出すことに成功し、
狭隘な場所に彼を引き込みます。
郭嘉は追撃してきた呂布軍を落石で圧死させ、呂布と軍勢の分断に成功。
曹操は呂布を追い詰めると、埋伏させていた青州軍に呂布を攻撃させます。
しかし呂布は青州軍を蹴散らし逃亡。
曹操は呂布と陳宮がいなくなった兗州各地の領土を取り返し、
兗州騒乱は終結します。
天子の逃亡生活
董卓(とうたく)は長安に都を移しますが、彼の死後長安(ちょうあん)は大いに乱れます。
天子である劉協(りゅうきょう)は漢の旧都であった洛陽に帰るため、長安脱出を決行。
彼に付き従うのは皇后である伏皇后(ふくこうごう)と皇后の兄である伏徳(ふくとく)
そして数十人の家臣だけでした。
彼らは長安を占拠している李傕(りかく)や郭汜(かくし)らの西涼軍から逃れるため、
厳しい逃亡生活を送ります。
そんな厳しい逃亡生活を乗り越え、何とか漢の旧都である洛陽(らくよう)に戻ります。
しかし洛陽は焼け野原になっており、人が住める状態ではありませんでした。
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曹操との会談
曹操は洛陽に群臣を率いて到着すると早速、天子である劉協に挨拶。
その後、許に都を移すように進言します。
劉協の周りの側近達は曹操の進言に反論を行いますが、
彼は天子の側近を意に介さず、洛陽にとどまる危うさを説きます。
劉協はその後曹操と二人きりで会談を行うため、焼け残った嘉徳伝へ曹操をいざないます。
そして劉協は嘉徳伝に着くと曹操に色々な質問を投げかけます。
曹操は彼の質問に丁寧に答え、劉協も彼の答えに満足します。
こうしたやり取りをした後、
劉協は曹操にいきなり「なぜお前は私を求める。お前が自分で作った都で皇帝になれば
いいではないか」と質問を投げかけます。
すると曹操は「私は皇帝になる者ではなく、陛下の元で政治を行うものです。
曹孟徳!!劉協皇帝陛下を推戴致します。」と言い放ちます。
劉協は曹操の求めに応じて、彼が立てた都・許に向かいます。
袁紹の激怒
曹操は劉協を推戴した後、袁紹に太尉の官位を送ります。
袁紹は太尉の位を曹操から送られると一度満足した後、使者に曹操の官位を聞きます。
使者は「曹操殿の官位は大将軍です」と聞くなり、彼はものすごい表情で激怒。
袁紹は使者に「官位の序列を今一度見直した後、ここに参れ。」と大声で叫び
使者を送り返します。
曹操は返ってきた使者の報告を聞き、大将軍の位を袁紹にあげる事にします。
そして自らは袁紹より下の位である司空の位に就任することにします。
ついでに司空は後漢時代、土木工事などをつかさどる役職でした。
なぜ袁紹はあんなに激怒したのでしょうか。
袁紹がキレた理由
時代によって官位の重さや位置づけは変わってきますが、
三国時代の太尉は大将軍より下であったようです。
そのため名門出身の袁紹は曹操に激怒したと思われます。
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劉備の元に天下無双の武がやってくる
劉備は天子が洛陽に逃げてきていると聞くと、下邳(かひ)城を飛び出そうとします。
しかし彼の第六感が働き、城門を出ることができませんでした。
城門の前には曹操に敗れた呂布が佇んでいました。
劉備は早速呂布を城内に招き入れ、宴会を行います。
この宴会の時に劉備は呂布に小沛(しょうはい)の城を与え、彼を厚遇。
張飛は呂布に城を与えることに反対しますが、
関羽は劉備の器量の大きさを褒めたたえます。
こうして天下のお尋ね者である呂布は、劉備の元に落ち着くことになります。
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