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なんじゃこりゃ?とツッコみたくなる三国志時代の職業別ユニフォーム

2016年6月17日


 

曹操 孔明をチェック

 

三国志の時代の衣装といえば、皆、長い上衣に裳(しょう)というスカートを巻いている。

そういう風にイメージしてしまいがちです。

 

孔明

 

しかし、実際には当時でも服装にはバリエーションがあり職業でも違っていたのです。

そこで、今回の『はじめての三国志』は、当時の服装を幾つか紹介してみましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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エントリーナンバー1 高級官僚の服装

後漢衣装

 

 

最初に紹介するのは、三国志の時代の高級官僚の服装です。

衣服はワンピースで、前で衣服の左右を合わせるタイプ、

全体的にかなりダボッとしています。この衣装だと、袖から手が出ず、

何か物を取る時には、片手で袖を引かないといけませんでした。

 

人物の腰の帯から下に垂れているのは、

綬(じゅ)といい役職の印(いん:印鑑)に結ばれていた紐です。

 

当時は、県令や県長、郡太守というような役職ごとに印があり、

それぞれの責任者が、肌身離さず印を保持していました。

綬だけでは、落とす可能性があるので、印を綬で帯に結び、

一方を印に結んで、印本体は懐に入れていました。

 

綬の長さや材質で、その身分の上下が分かるので、

当時の高級官僚は、これみよがしに綬を長く垂らして歩いています。

 

頭の羽子板のようなものは冠で、その下は頭巾です。

頭巾は2000年前頃から流行して、三国志の時代でも、

まだまだブームになっていました。

 

また当時の中国では、よそ行きの衣服は、襟や衣服の袖、

裾には別の生地を縁取りするという決まりがあり、

それが無い衣服は最低という不文律がありました。

この高級官僚の衣服も襟、袖、裾に幾何学文様の飾りがありますね。

 

エントリーナンバー2 一般兵士の服装

後漢の衣装2

 

次のイラストは、三国志の時代の兵士の服装になります。

上着の下にズボンを穿いているのが分かりますね。

 

手には、戈(か)という横に刃が出た武器を持っています。

戈の上から飛び出している赤いのは、戈の飾りです。

足には靴を履いていますが、当時の靴はダボダボだったので

脱げないように紐で縛って履いていたようです。

 

ただ、三国志の時代、戦車戦の武器として発展した戈は、

かなり時代遅れになっていたので、この兵士が実際に戈を使用したのか

あるいは儀礼用のアイテムとして持っていたかは分かりません。

 

こちらも、高級官僚と同じく、羽子板状の冠と頭巾をかぶっています。

冠は、当時の男性なら誰でも被っていて、むしろ、被らないのは、

裸を見られるような、とても恥ずかしい事とされていました。

 

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エントリーナンバー3 精肉業者の服装

後漢の衣装3

 

三番目のイラストは、三国志の時代の肉屋の服装です。

服装というか半裸で、ハーフパンツという方が正解ですね。

 

石刻画では、このハーフパンツ、体のラインぴっちりに見えるので、

素材は麻ではなく、動物の繊維や革だったかも知れません。

それなら、まさしく革パンという事になります。

 

ハーフパンツには、紐がついていて、お腹の所で結んでいました。

 

当時の肉屋には冷蔵庫がないので、肉屋は注文が来た段階で

豚を屠畜しすばやくさばいてお店に出していました。

大抵、肉屋の裏は、養豚場で、そこで適当な豚を選んでいたのです。

 

顔良

 

当然、豚は暴れますし、殺す段階で血も出ますから、

通常の服を着ていたのでは、汚れて使い物になりません。

そこで、上半身は裸にして、短パンを穿き、

汚れても大丈夫なようにしてから、仕事をしていたのです。

 

さすがに仕事の邪魔になるので、冠は被っていませんが、

それでも、頭巾だけは被っているので、当時、頭巾というものが、

どれだけ普及していたか分かります。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

 

こうしてみると、三国志の時代でも、職業、或いは身分により、

かなり服装は違っていたという事が分かります。

 

ちなみに、大将軍、何進(かしん)劉備(りゅうび)の義弟の

張飛(ちょうひ)は、いずれも前身が肉屋なので、おそらく、

ここで挙げたような服装で、毎日汗を流していた事だと思います。

 

両者とも巨体で髭顔のイメージが強いので、その仕事風景は、

さぞかし凄かったでしょう。

 

本日も三国志の話題をご馳走様・・

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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