劉備(りゅうび)は関羽(かんう)を呉の裏切りによって失います。その後、劉備は呉に対して復讐戦を計画しますが、趙雲(ちょううん)などの重臣たちが猛反対します。
劉備はこれらの反対意見を押し切って、呉を討伐すべく出陣します。劉備軍は呉の領地に侵攻すると無人の野を行くがごとく連戦連勝でした。
しかし三国志好きなら知っている通り、夷陵の地で陸遜(りくそん)軍の火計を受けて劉備軍は壊滅的な被害を受けて大敗北します。劉備軍はなぜ連戦連勝していたのに大敗北をすることになったのでしょうか。
この記事の目次
夷陵の戦いとは?
そもそも夷陵の戦いはなぜ行われたのでしょうか。その原因は呉の裏切りが原因です。呉は蜀を裏切り、関羽がいなくなった荊州方面の攻略を開始。その後関羽を討伐し、荊州を自らの物にします。
劉備は呉の裏切りによって自分の義兄弟であった関羽が殺された事に激怒します。そして呉に復讐をするため出陣を決意しますが、配下達の猛反対を受けます。しかし劉備は家臣達の猛反対を押し切って呉へ侵攻を開始したことがきっかけで、夷陵の戦いが勃発することになります。
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夷陵の戦いの敗因その1【呉の領地に深く侵入しすぎた】
劉備軍は呉の領土に向けて侵攻を開始します。呉の領土に侵入すると荊州南部にいた異民族などが劉備軍の味方になり、どんどん兵力は膨れ上がっていきます。そして呉の城を次々と陥落させていきます。
この時、呉の城は兵数が少なく、荊州方面からの援軍もほとんど来ない状態でした。そのため劉備軍は無人の野を行くがごとく、次々と呉の領土内の城を陥落させていき、知らず知らずの内に呉の領土の奥深くに侵攻していくことになります。
その後陸遜(りくそん)が火計を用いて劉備軍の陣地を焼き払った事で、劉備軍は大混乱をきたし、壊滅的な損害を受け、退却していくことになります。
もしこの時、劉備が自軍の領地の近くでとどまって陸遜の動きを観察していれば、このような大損害を受けずに、退却できたかもしれません。呉の領地の奥深くに侵入したことが、夷陵の戦いの大敗北を起こした原因の一つとして数えられるのではないでしょうか。
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夷陵の戦いで大敗北した原因その2【呉軍の水軍の侵入を許した】
劉備が夷陵の戦いで大敗北した原因のその2は呉の水軍の侵入を許した点です。呉軍は劉備の退却路を塞ぐ為、長江上流へ水軍を進めた後、劉備軍の背後にある陣地に火計を行います。この背後からの攻撃により、劉備軍は大混乱を起こし、退却がスムーズに行われませんでした。
劉備が呉の領地へ侵攻する前に、配下である黄権(こうけん)は劉備に対して「長江は流れに任せて下るときは進みやすいですが、退却する時は非常に難しくなります。そのため私に先鋒を任せていただき、陛下にはあとから進んでいただけませんか。」と進言しております。しかし劉備はこの進言を取り上げず、黄権を魏の備えに充ててしまいます。
この時黄権の進言が取り上げられていれば、ここまでの大敗北を喫することはなかったのではないでしょうか。
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夷陵の戦いで大敗北した原因その3【大軍を動かす経験が少なかった】
劉備は蜀の皇帝となる前までは各地で戦の日々に明け暮れており、戦の経験は豊富でした。その証拠に夷陵の戦いに出陣する前には、兵士を訓練させ、補給路も準備周到に用意した後に呉へ出陣をしています。
しかし劉備の欠点は大軍を率いて戦った事があまりの少ない事でした。劉備は数々の戦に出ていた為、戦の経験は豊富でしたが、大軍を率いての戦いは数えるほどしかありません。
そのため少数の軍勢を率いての戦いであったら、普通の将軍よりも強かったのですが、大軍の戦いとなると、能力を発揮できなかったのではないでしょうか。
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夷陵の戦いで大敗北した原因その4【陸遜の戦術】
夷陵の戦いの時の呉軍の総大将は陸遜でした。彼は劉備軍を領内に引き込むため、わざと蜀との国境にある城へ援軍を送ることはしませんでした。そのため劉備軍は怒涛の如く呉の領土の奥深くに侵攻を行います。
そして呉が領有している荊州の領地は後方の江陵だけとなってしまいます。陸遜は劉備軍の陣が伸びきっている事を確認するため、一度だけ呉軍の主力を率いて攻撃を行います。この攻撃で劉備軍の陣地が伸びきっている事を確認し、さらに劉備軍の陣地が火計に弱い事まで見抜きます。
その後陸遜は水軍をひそかに出陣させて、劉備軍の後方に移動させた後、火計を用いて劉備軍に大勝利を果たします。このように色々と戦術面において、陸遜が劉備に勝っていた事が敗北した原因の一つに挙げられるのではないかと思います。
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三国志ライター黒田廉の独り言
このように色々な原因が折り重なって劉備軍は夷陵の戦いで大敗北することになります。この敗因のどれか一つでも取り除くことが出来たのであれば、劉備軍が陸遜に勝つことができないまでも、あのような大敗北を喫することが無かったのではないでしょうか。「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。それじゃあまたにゃ~」
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