王陵(おうりょう)・毌丘倹(かんきゅうけん)・諸葛誕(しょかつたん)の三人は
司馬家を憎んで反乱を起こしますが、三人とも反乱に失敗して悲惨な結末を辿っています。
今回は王陵が起こした反乱に着目、
反乱を起こした経緯と反乱が失敗した原因を調べてみたいと思います。
この記事の目次
魏の軍事においてトップに立つ司馬懿
司馬懿(しばい)は蜀の天才丞相である諸葛孔明率いる蜀軍が北伐してきた際、
魏軍の総司令官として蜀軍との対決に臨みます。
孔明率いる蜀軍を幾度も退け、ついに孔明との戦いに勝利を収めます。
孔明を退けることに成功した司馬懿は、魏の政権において軍事のトップとして、
立つことになります。
こうして司馬懿は魏の政権内において重要な存在として、
認識されていく事になります。
司馬懿が曹氏一族を排除
司馬懿は孔明を退けた後も、遼東の公孫淵(こうそんえん)討伐の総司令官として、
反乱鎮圧に大いに貢献。
また魏の二代目皇帝である曹叡(そうえい)から三代目皇帝となる曹芳(そうほう)を
補佐するように頼まれると、共に遺言を受けた曹爽(そうそう)と一緒に、
幼い皇帝曹芳を補佐していきます。
曹爽は始めこそ司馬懿と共に幼い皇帝を補佐していましたが、
彼の側近に「あなた様は曹氏一族であるのですから、司馬懿の力など借りずに
皇帝陛下を補佐して行けばいいじゃないですか。」と進言します。
曹爽は側近の進言を採用し、司馬懿を蔑ろにして、一人で曹芳を補佐して行きます。
司馬懿は自らの家を守るために、曹爽の勢力を切り崩すためにクーデターを起こし、
曹氏一門の排除しようと試みます。
このクーデターによって曹爽の勢力を追い落し、曹氏一門を没落させることに成功。
こうして司馬家が魏の政権内で力を持ち、魏の政権を徐々に私有化していく事になります。
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呉と魏の国境を守る王陵が司馬家に反感を持つ
王陵は曹叡の時代から呉と魏の国境沿いを守り、魏の重鎮として重きを成しており、
呉軍が魏の領土である寿春近辺に侵攻してくるが彼のおかげで領土を取られることなく、
しっかりと守っていた功績により、
魏の揚州近辺の軍事を行使することができる役職に就任。
こうして重役に就いた王陵ですが、彼は都から離れていたこともあり、
魏の政権の状況を客観的に見ることができました。
彼の目から見た魏の政権の状況は司馬家によって私有化されている事に気付きます。
彼は魏の政権を曹氏に取り戻させる為、反乱の計画を考え始めます。
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司馬家討伐作戦を決行しようとするが…
王陵は司馬家の専横を憎みますが、
皇帝が幼いことにも曹家が自らの権力を維持することができない原因であると考え、
司馬家を打倒した後に新たな皇帝を立てようと画策。
彼が新たな皇帝として選んだ人物は、曹操の息子である曹彪(そうひょう)を
皇帝に立てようと考えます。
王陵はこの計画を実行に移すため曹彪に皇帝になってもらえるかと打診すると、
彼は快くこの計画に賛同。
またこの時、呉軍が川をせき止めて魏に攻撃をしようとする気配を見せてきたことを
きっかけとして、呉を討伐するため、軍を動かしてもいいか上奏します。
王陵は軍を動かしてもいいと司馬懿から知らせが来たら、
すぐに司馬懿の討伐に向かおうと考えます。
しかし司馬懿は王陵に軍を動かすなと指示を出してきます。
そのため王陵は司馬懿討伐の挙兵を思いとどまり、仲間集めに奔走します。
仲間集めが仇となり、司馬懿に反乱を企んでいるとバレる
王陵は近隣の城主に司馬懿討伐の軍勢に加わってくれないかと使者を送って誘います。
彼はこの時兗州(えんしゅう)の刺史である黄華(こうか)にも仲間に加わってくれないかと
使者を送ります。
黄華は王陵の使者を迎えると、司馬懿にこの反乱計画を知らせようではないかと
使者達を説得。
王陵の使者達は黄華の説得を受け入れ、王陵の計画を司馬懿にバラしてしまいます。
こうして王陵の計画は司馬懿に知れ渡る事になります。
司馬懿に計画がバレてしまい、王陵は処断される
王陵は司馬懿が大軍を率いて寿春近辺に南下してきている事を知ると、
彼は自らの計画が破綻した事を知り、司馬懿に降伏します。
王陵自ら司馬懿の元に行き、許しを請うつもりでしたが、司馬懿は彼を許さず
処断されてしまいます。
こうして王陵の計画は失敗に終わってしまいます。
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