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132話:もうやりたい放題!曹叡の乱心で魏の暗黒時代へ突入

2016年10月18日


 

孔明過労死

 

諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)の死は、

蜀ばかりでなく、周辺国にも衝撃を与えました。

特に北伐による侵攻を受けていた魏では孔明の死後、名君だった

曹叡(そうえい)の態度に大きな変化が発生していきます。

それは、やがて、魏の実権が曹氏から司馬氏に移る切っ掛けになるのです。

 

前回記事:131話:新宰相・蔣琬(しょうえん)により変貌する蜀

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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大宮殿を造営し、浪費を繰り返す曹叡

曹叡

 

孔明の死後、国家存亡の重圧から解放された曹叡の態度に変化が生じます。

それまで、質素、倹約に勤めていた曹叡が、もはや後顧の憂いなし

とばかりに大規模な宮殿造営に踏み切ったのです。

 

それに対しては、いまだ乱世である事から、多くの反対意見が出ました。

高堂隆(こうどうりゅう)、王粛(おうしゅく)、司馬懿(しばい)など

重臣が何度も曹叡に民衆の負担になる大工事は止めるように諫言しています。

 

朕に逆らうのか!ますます大土木工事にハマる曹叡

宮殿 労働者

 

しかし、曹叡は諫言を受け入れるどころか逆上し、

自分に諫言した重臣達まで工事に駆りだすようになります。

毎日、数万人が動員され、そこには貴族や学生まで含まれていました。

こうして洛陽宮の修理、昭陽殿、太極殿の造営、総章観の増築などを

曹叡は矢継ぎ早に実行しました。

 

馬鈞

 

曹叡の宮殿は、ただデカイだけではなく、技術者の馬鈞(ばきん)等を使って

大がかりなカラクリなどを仕込み、贅沢を尽くしていました。

曹叡以外から見れば、どひんしゅくモノの無用の長物だったのです。

 

こうして、曹操(そうそう)曹丕(そうひ)時代に貯め込んだ富は

みるみる使い尽くされ、魏の人々は、不要な工事に動員され

生活は次第に苦しくなり曹叡を恨み始めます。

 

後宮に次々と美女を入れはじめる

曹叡 美女

 

曹叡の暴走は止まりません、大土木工事と並行して、

各地から美女を集めて後宮を満たすようになりました。

それは数千人という単位にのぼり、財政を圧迫する事になります。

 

そこには、大国魏の皇帝に相応しい威厳をという考えもあったでしょうが、

つい、最近まで蜀との戦いで多額の軍事費を使っていた魏には、

全く痛い出費になりました。

 

兵士の数を確保する為に、女性を強引に離婚させる

曹叡

 

さらに曹叡は、魏帝国を完全に守備するには兵力の安定供給が

必要不可欠という持論を展開していきます。

 

それは、確かにその通りなんですが、、

その為に曹叡は、兵士の階級に所属している女性が、

兵士以外と結婚する事を禁止し結婚している場合には離婚させて、

兵士と再婚させるという強引な政策を取ります。

 

個人の幸せにまで無理やり介入するやり方は非難轟々ですが、

もちろん曹叡は止めません、そればかりか離婚させた女性の中に美女がいると

また自分の後宮に入れてしまうという公私混同を開始します。

 

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父と同じ過ち、毛皇后を自殺に追い込む

曹叡

 

曹叡は平原王時代に、寵愛した毛氏を正妃に迎えていました。

しかし、皇帝に即位後、新たに郭氏を迎えた曹叡は

彼女に夢中になり、次第に毛氏への寵愛を失います。

 

西暦237年、曹叡は、嫉妬深くなった毛氏を

嫌うようになり郭氏や女官達と宴を楽しみます。

 

その際、毛氏の恨み事が面倒になった曹叡は、

「今日の宴は毛氏には、教えてはならぬ」

女官達に口止めしました。

 

ところが何故か、毛氏はその事実を知り、

曹叡に恨み事を言ったので激怒した曹叡は、

宴に参加した女官を皆殺しにし、さらに毛氏まで

自殺に追いやってしまったのです。

 

かつて、父である曹丕も曹叡の生母である甄(しん)氏への

寵愛が薄れ、これを殺した事がありますが、それと同じ事を

曹叡もやってしまったのでした。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

曹叡は即位以来、合肥の戦いでは自ら親征して孫権を挫くなど、

英邁な君主として期待される存在でした。

ところが、最大の脅威だった孔明の死で緊張の糸が切れたのか、

その統治の後半生は滅茶苦茶なものになっていきます。

 

それは、曹氏から人望が離れる、ひとつのきっかけになる事件でした。

 

次回記事:133話:公孫淵の反乱と司馬懿の台頭

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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