蜀ばかりでなく、周辺国にも衝撃を与えました。
特に北伐による侵攻を受けていた魏では孔明の死後、名君だった
曹叡(そうえい)の態度に大きな変化が発生していきます。
それは、やがて、魏の実権が曹氏から司馬氏に移る切っ掛けになるのです。
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この記事の目次
大宮殿を造営し、浪費を繰り返す曹叡
孔明の死後、国家存亡の重圧から解放された曹叡の態度に変化が生じます。
それまで、質素、倹約に勤めていた曹叡が、もはや後顧の憂いなし
とばかりに大規模な宮殿造営に踏み切ったのです。
それに対しては、いまだ乱世である事から、多くの反対意見が出ました。
高堂隆(こうどうりゅう)、王粛(おうしゅく)、司馬懿(しばい)など
重臣が何度も曹叡に民衆の負担になる大工事は止めるように諫言しています。
朕に逆らうのか!ますます大土木工事にハマる曹叡
しかし、曹叡は諫言を受け入れるどころか逆上し、
自分に諫言した重臣達まで工事に駆りだすようになります。
毎日、数万人が動員され、そこには貴族や学生まで含まれていました。
こうして洛陽宮の修理、昭陽殿、太極殿の造営、総章観の増築などを
曹叡は矢継ぎ早に実行しました。
曹叡の宮殿は、ただデカイだけではなく、技術者の馬鈞(ばきん)等を使って
大がかりなカラクリなどを仕込み、贅沢を尽くしていました。
曹叡以外から見れば、どひんしゅくモノの無用の長物だったのです。
こうして、曹操(そうそう)、曹丕(そうひ)時代に貯め込んだ富は
みるみる使い尽くされ、魏の人々は、不要な工事に動員され
生活は次第に苦しくなり曹叡を恨み始めます。
後宮に次々と美女を入れはじめる
曹叡の暴走は止まりません、大土木工事と並行して、
各地から美女を集めて後宮を満たすようになりました。
それは数千人という単位にのぼり、財政を圧迫する事になります。
そこには、大国魏の皇帝に相応しい威厳をという考えもあったでしょうが、
つい、最近まで蜀との戦いで多額の軍事費を使っていた魏には、
全く痛い出費になりました。
兵士の数を確保する為に、女性を強引に離婚させる
さらに曹叡は、魏帝国を完全に守備するには兵力の安定供給が
必要不可欠という持論を展開していきます。
それは、確かにその通りなんですが、、
その為に曹叡は、兵士の階級に所属している女性が、
兵士以外と結婚する事を禁止し結婚している場合には離婚させて、
兵士と再婚させるという強引な政策を取ります。
個人の幸せにまで無理やり介入するやり方は非難轟々ですが、
もちろん曹叡は止めません、そればかりか離婚させた女性の中に美女がいると
また自分の後宮に入れてしまうという公私混同を開始します。
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父と同じ過ち、毛皇后を自殺に追い込む
曹叡は平原王時代に、寵愛した毛氏を正妃に迎えていました。
しかし、皇帝に即位後、新たに郭氏を迎えた曹叡は
彼女に夢中になり、次第に毛氏への寵愛を失います。
西暦237年、曹叡は、嫉妬深くなった毛氏を
嫌うようになり郭氏や女官達と宴を楽しみます。
その際、毛氏の恨み事が面倒になった曹叡は、
「今日の宴は毛氏には、教えてはならぬ」と
女官達に口止めしました。
ところが何故か、毛氏はその事実を知り、
曹叡に恨み事を言ったので激怒した曹叡は、
宴に参加した女官を皆殺しにし、さらに毛氏まで
自殺に追いやってしまったのです。
かつて、父である曹丕も曹叡の生母である甄(しん)氏への
寵愛が薄れ、これを殺した事がありますが、それと同じ事を
曹叡もやってしまったのでした。
三国志ライターkawausoの独り言
曹叡は即位以来、合肥の戦いでは自ら親征して孫権を挫くなど、
英邁な君主として期待される存在でした。
ところが、最大の脅威だった孔明の死で緊張の糸が切れたのか、
その統治の後半生は滅茶苦茶なものになっていきます。
それは、曹氏から人望が離れる、ひとつのきっかけになる事件でした。
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