蜀の丞相である諸葛孔明は魏を倒そうと幾度も北伐を行います。
しかし三国志を知っている方ならご存知ですが、孔明の北伐はすべて失敗に終わり、
魏を打倒することができませんでした。
しかし孔明の北伐が成功した可能性があったかもしれない時があったのを皆さんご存知でしたか。
そのきっかけを作ったのが魏の武将である孟達(もうたつ)の内応です。
彼がしっかりとしれていれば孔明の北伐は成功していたかもしれません。
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この記事の目次
劉璋から劉備に仕える
孟達(もうたつ)は始め劉璋(りゅうしょう)の家臣として仕えておりましたが、
劉備が益州へ攻撃をしかけて来ると彼の陣営に寝返り劉備の家臣として仕えるようになります。
劉備軍によって益州平定が完了すると、
孟達は荊州の西北に位置する宜都(ぎと)と呼ばれる土地の太守に任命されます。
宜都太守となった孟達は魏の領土である上庸(じょうよう)へ攻撃を仕掛けて、
魏の上庸太守を降伏させこの地を劉備から任せられるようになります。
劉備の怒りを恐れて魏に寝返る
上庸の地を任されられるようになった孟達ですが、
荊州の江陵(こうりょう)都督となっていた関羽(かんう)とそりが会いませんでした。
その為、関羽が樊城(はんじょう)攻略戦に失敗して危機的状況に陥った時、
援軍を出さずに見殺しにしてしまいます。
その後関羽は呉軍に捕まり処刑されてしまいます。
孟達は関羽を助けに行かなかった事で劉備が怒り、
このまま蜀にいればいずれ殺されてしまうのではないかと考えます。
そして彼は上庸の土地を手土産に魏へ降伏します。
魏の皇帝であった曹丕(そうひ)は孟達のカッコよさと才能に惚れてしまい彼に、
西城(せいじょう)・房陵(ぼうりょう)・上庸の三つ土地を合わせた領土の太守に任命。
こうして孟達は蜀にいた頃よりも出世することになります。
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魏の国内で仲間を作り地位を磐石な物にする
孟達は自らの地位を磐石なものにするため、曹丕とは懇意に付き合っておりました。
しかし皇帝である曹丕とは強固な信頼関係を構築することに成功しましたが、
いつ何が起きるかわからないため親しく付き合うことが出来る人間を探します。
その結果曹丕のお気に入りの武将である夏侯尚(かこうしょう)に接近。
彼は夏侯尚を家に招いて宴会を幾度か行うことで、互いの事をよく知る仲となります。
他にも夏侯尚から紹介された人物と交わっていくことで、
魏国の中で自分の地位を確立していくことに成功します。
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孟達の優遇に古い家臣達が反発するも・・・
こうして孟達の地位は磐石な物になっていくのですが、
魏に長年仕えている臣下達からしてみれば孟達の異常な出世ぶりを見ておもしろくありません。
そこで彼らは曹丕に「孟達は劉璋を裏切って劉備につき、
今また関羽を裏切って魏へ寝返ってきました。
このように裏切りを重ねている人物に広大な土地を任せてもいいのでしょうか。」と曹丕に進言します。
すると曹丕は「いや孟達は絶対に曹魏を裏切ることはしない。
なぜならば私が信用しているからだ。」と孟達を心の底から信用している皇帝でした。
絶頂期の終わり
曹丕の信頼を勝ち得ることに成功した孟達は曹丕が生きている間は、彼の地位は磐石でした。
しかし彼は突然亡くなってしまいます。
また曹丕が亡くなる前に親友であった夏侯尚は奥さんを亡くしてしまい、
そのショックから気が狂ってしまい亡くなってしまいます。
こうして孟達が親友として頼りにしていた夏侯尚までも亡くなってしまうと、
他に頼れる人物がいなくなってしまい、彼の絶頂期が終幕を迎えることになります。
そして彼は魏の国において辺境ではあるが、
広大な土地と大きな兵力を抱えていることに不安を感じ始めます。
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