蒙恬(もうてん)はどんな性格なの?真面目さの照れ隠しの軽い性格

2016年12月17日


 

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キングダム 19 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

 

秦においては、蒙驁(もうごう)、蒙武(もうぶ)と続く将軍の家系に

生まれたサラブレット蒙恬(もうてん)

さぞかし苦労しらずの上から目線のボンボンかと思いきや、意外に気さくで、

下僕出身の信(しん)とも親しく話すナイスガイとして描かれています。

そんな蒙恬は、史実ではどんな性格で、漫画とはどんな共通点があるのか?

ちょっと調べてみましたよ。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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蒙恬が軽く見えるのは重圧を受け流す照れ隠し

王賁

 

同期の王賁(おうほん)が、冷徹で強烈なエリート意識を隠さず、

下僕出身の、信と何度も衝突するのに対して、蒙恬は、性格が軽く、

飄々と毎日を生きているように見えます。

 

しかし、本当は蒙驁、蒙武と続く名門の家柄を背負う重圧に黙って耐え、

自分とは何かを模索している悩み多き青年武将こそが彼の真実でした。

ですが、それを前面に出す事に、奇妙な照れがあるので、

敢えて、軽い人間を演じているのが蒙恬なのです。

 

単純、直情バカの信より、ずっと性格が複雑に出来ていると言えます。

蒙恬としては、天下の大将軍になるという信の素直さが羨ましく

何かと言えば、気に掛け助けになろうとしているのでしょう。

 

信を救ったり、喧嘩を仲裁するのは史実の蒙恬と同じ?

蒙恬

 

史実の蒙恬は、最初から将軍ではなく、文官として、

訴訟や裁判に関わる仕事をしています。

さすがに訴訟や裁判に関わるだけあり、王賁と信の喧嘩を仲裁するのも

手慣れたものという感じがしますね。

 

また、正義感から軍規を侵して処断されそうになった信を

裏工作で救うのも、法律の網を熟知している蒙恬らしいフォローです。

 

漫画の蒙恬も史実同様に文官志望を口にしていますが、

それは叶えられる事になります。

紀元前221年、斉を滅ぼして秦が天下を統一すると蒙恬は、

内史(ないし)という首都圏の行政長官に抜擢されたからです。

 

それ以前に、大将軍になった蒙恬は、祖父、父と続いた名門の家名を

保ったので、天下統一後は、自分のもう一つの夢である文官への道を

取ったとすれば、なかなか器用な生き方をしていると言えます。

 

※あのファルファルさんは、かなり難しい仕事をしていた

内史騰(とう)の真実の姿とは!

 

 

重要な局面で自分を犠牲にする勇敢な一面

 

厳格で統制のとれた王賁の玉鳳(ぎょくほう)隊に対して、

陽気な楽華(がくか)隊という部隊を率いる蒙恬ですが、

その部隊の実質は特殊部隊であり、時に、戦争の局面を変える

重要な場面に遭遇します。

 

合従軍編では、楚軍の総大将、汗明(かんめい)と秦の蒙武(蒙恬の父)が

激しい一騎打ちを繰り広げていた時、楚の将軍、媧燐(かりん)の命令で、

蒙武を背後から狙撃するように命じられた媧偃(かえん)の存在を見逃さず、

阻止しようとして逆に一騎打ちの範囲に入り汗明に斬られて重傷を負っています。

 

しかし、蒙恬のフォローが無ければ、蒙武は狙撃され、汗明が勝利し、

函谷関の戦いの形勢は逆転した可能性もあります。

イザという時には自身を顧みないという勇敢さも蒙恬の持ち味です。

 

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真面目な性格が仇に、蒙恬の悲劇

 

そんな蒙恬の人生の転機は紀元前215年にやってきます。

 

戦歴と行政官のキャリアを買われて、30万の兵力を与えられて、

匈奴征伐を命じられ、オルドス地方から匈奴を駆逐すると、

再度の匈奴侵攻を阻止する為に、辺境にとどまり

万里の長城の建築に着手する事になったのです。

 

これは史上空前の大工事になり、北方異民族への防波堤として、

遥か清の時代まで活用されますが、そこには何十万という労働力が

投入され、厳しい環境と重労働で多くの犠牲者が出ます。

 

真面目な性格の蒙恬は、自身の手腕を存分に発揮して、

長城を完成させますが、それは、秦を恨む人民の怨念と引き換えでした。

やがて、始皇帝が死去すると、三十万の軍勢と皇太子と目された

扶蘇(ふそ)の補佐役である蒙恬は危険視されました。

 

趙高 キングダム

 

扶蘇とは相性が悪い、宦官の趙高(ちょうこう)と宰相、李斯(りし)

陰謀により蒙恬と扶蘇は、偽の勅書によって死を命じられます。

 

蒙恬の元にいた、始皇帝の長子の扶蘇は、勅命に従い自殺しますが、

蒙恬は、どうして自分が死を賜るのか理解できませんでした。

 

「ただ、一途に国家の要求に答えた私が、

どうして死を与えられないといけないのか!」

 

胡亥

 

それでも扶蘇が死に、さらに二世皇帝の胡亥(こがい)からの自殺を命ずる

勅が届くと、「長城の建築で大地の地脈を傷つけた」という理由にならない

理由で自身を無理やり納得させて自殺してしまうのです。

 

人民の犠牲を顧みず、命令のままに長城建築を成し遂げるのも真面目なら、

謀反など考えず、理由にならない理由で死を選ぶのも悲痛な真面目さです。

まさに、その真面目さが蒙恬の栄達と破滅を産んだのです。

 

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キングダムライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

信、王賁、蒙恬の中でその最期が記録されているのは蒙恬だけです。

また、蒙恬は伝承では、動物の毛を集めて、筆を発明したという逸話もあり

大昔から、器用でアイデアに溢れた人という評価があったようです。

キングダムでは、そのような逸話から、真面目さを隠して器用に

飄々と振る舞う、キャラクターの蒙恬を生み出したのでしょう。

 

蒙恬は同時に、楚の攻略戦で信と共に出陣して、大敗北を喫したのに

秦王政に処断されなかったという珍しい人物でもあります。

今後、陰謀により死を賜るまでに蒙恬の性格が変貌するのか?

あるいは、オリジナルの解釈で最期を迎えるのか、

キングダムの今後の展開が楽しみですね。

 

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