彼らは秦の滅亡させたあと天下の覇権を賭けて長いあいだ戦いを繰り広げていきます。
劉邦は項羽に連戦連敗していしまいますが、最後の一戦で大勝利をおさめたことがきっかけで、
漢帝国を樹立することに成功します。
劉邦は漢帝国を樹立した後に諸将を招いて宴会を開きます。
この時に項羽に勝つことができた理由を諸将に自慢げに語り始めるのです。
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洛陽で大宴会を開催
劉邦は最大の敵であった項羽を討ち滅ぼして天下統一し、漢帝国を樹立します。
その後功績の高かった者達へ褒美を与えて、一段落した時に諸将を招いて洛陽(らくよう)で
大宴会を開催します。
劉邦や参加した諸将らは楚漢戦争時代の辛い時期や
自らの武功などの思い出話などに花を咲かせて大いに盛りがったそうです。
項羽に勝った原因を諸将に尋ねる
劉邦は宴会で盛り上がっている時に諸将に対して
「俺が項羽に勝った理由は一体何であったか知っている者はいるか」と尋ねます。
すると諸将の中から「陛下は諸将を使って城や領土を取らせて、
戦いに功績があった人達をしっかりと評価したことが項羽に勝った原因でしょう」と
劉邦の問いに答えます。
この答えに劉邦は「お主達の意見も間違えではないが、まだまだ読みが浅い」と
反論します。
諸将達は「では何をもって項羽に勝利することができたのでしょうか」と劉邦に問い返します。
「蕭何・韓信・張良」を使いこなしたからだ
劉邦は諸将の問いに対して「私が項羽に勝った原因は、
確かに諸将が言ったこともあっているだろう。
しかし私が項羽に勝つことができた真の理由は謀略や戦術面における張良(ちょうりょう)の活躍や
補給物資を滞ることなく前線に送り、兵士を常に供給していた蕭何(しょうか)の活躍、
そして諸将を率いて戦にのぞみ、連戦連勝した大将軍である韓信(かんしん)の活躍。
彼ら三人の活躍があったればこそわれは項羽に勝利することができたのだ」と述べます。
三人を使いこなしたワシが居たからこそ勝てたのである
そして劉邦は諸将に言葉を続け「彼ら三人の助力があったからこそ項羽に勝つことができた。
項羽の敗因は范増(はんぞう)すら使いこなせないところに有り、
わしが三人を使いこなせたからこそ、やつに勝つことができたのである」と最後は自画自賛をして
諸将の方へ向きます。
諸将は劉邦の言葉に大いに喜びの表情で彼の言葉に敬服して、
宴会は終了したそうです。
三国志ライター黒田レンのひとりごと
劉邦があげた三人は「漢の三傑」として崇められることになります。
日本でもこの三傑の言葉はよく使われることになり、
徳川三傑(本多忠勝・井伊直政・榊原康政)や維新三傑(西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允)など
で使われることになります。
また徳川三傑の一人である井伊直政(いいなおまさ)ですが、
彼は幼い頃命を狙われることになりますが、
2017年の大河ドラマである女城主・井伊直虎(いいなおとら)達の助けによって、
命を助けられることになり、彼女達の必死の努力によって徳川家康へ仕えることになります。
そして井伊直政は徳川家で大いに武功を挙げたことで、
井伊家の名声を天下に知らしめることになります。
話がそれてしまいましたが、
劉邦が評価した三人がいなければ項羽を倒すことはまず不可能であったでしょう。
さらに劉邦以外にこの三人が仕えていたとしても使いこなせるかどうかは微妙であったと思います。
なぜならばあの時代に劉邦以上の君主が出現していなかったからです。
レンの勝手な予想ですが、
斉・趙・燕などの国々で彼ら三人を使いこなせる事ができる群雄は多分いなかったでしょう。
(もし私の勝手な自己評価で使いこなせる事ができる人物を挙げるとすれば、
斉の田横(でんおう)が一番可能性として高いかもしれません)
もし劉邦以上にこの三人を使えることのできる人物がいれば楚漢戦争は、
まずその群雄が天下統一をしていた可能性が一番高いと思われます。
参考文献 朝倉書店 十八史略で読む史記 渡邉義浩著など
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