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曹操の人材登用法が魏国の安定をもたらす!能力主義者・曹操の二段構えの政策とは?

2017年1月23日


 

曹操 ヨイショ

 

三国志の中で一番人材の登用に熱心だった曹操

彼は群雄割拠の時代から色々な熱心に人材を探し求めており、

品行方正でなくとも能力さえあれば敵でさえ用いておりました。

 

郭嘉

 

曹操が用いた品行方正じゃない優秀な人材達の一例として、

赤壁の戦いにいれば負けることがなかったと言わしめた郭嘉(かくか)

 

許チョ

 

元村の護衛団の一味であった許褚(きょちょ)

兵士からの叩き上げである楽進などがおります。

 

賈詡

 

また曹操は敵であった者でも能力さえあれば用いており、

張繍の軍師であった賈詡(かく)や張飛と互角にやりあった張郃(ちょうこう)などがおります。

このように優秀な人材が大好きであった曹操ですが、

魏の国家を作り上げると優秀な人材を募集すると同時に教育機関を整備して人材育成に

励んでおりました。

今回は曹操が実施した政策である教育機関と人材募集の面をピックアップしてみたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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優秀な人材には褒美を与え、実績がない者には罰を

現実主義曹操

 

曹操は河北で袁家討伐戦を完了した後、戦功のあった諸将に褒美を与えます。

この時に抜群の戦功を上げた人材に選ばれたのは袁家討伐戦で勲功のあった武将達ではなく、

後方支援や武器・兵糧の補給を行っていた文官・荀彧でした。

諸将は荀彧の補給の手際良さと曹操軍の古参であることから不満を漏らすことが

なかったそうです。

曹操は諸将に褒美を与えた後、戦功のなかった者達に対して

「国家において君主の命令は絶対である。

また君主が命令した以上一定以上の成果を上げずに、

のうのうとしている者達へ罰則を与えないのは、戦場で命懸けで働いている武将や

後方支援で活躍している文官達、戦場を組み立てている参謀達に対して礼を失している。

そこで今後我が軍で私が下した命令において一定以上の成果を上げない者達を処罰する。」と

お触れを出します。

この結果、曹操から命令を受けた人物達は成果を出すために必死に働いていくことになり、

もし成果を上げることができない人物が出現すれば、有無を言わさず罰せられることになります。

 

第一段階:能力ある者を召し抱える求賢令

兵戸制

 

曹操は赤壁での戦いで受けた損害を回復させるとともにある政策を布告。

その政策は求賢令(きゅうけんれい)です。

 

管仲(衣食なして礼節を知る)

 

彼は布告した際に春秋時代の名宰相で管仲(かんちゅう)や漢の謀臣として劉邦を助けるも

賄賂を受け取っていた陳平を引き合いに出した後

「唯だ才をばこれ挙げよ、我得てこれを用いん」と示します。

この求賢令によって犯罪者や品行方正、賄賂を受け取っていた人でも才能をもってすれば

曹操に仕えることができるようになります。

 

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第二段階:召し抱えるだけでなく、人材教育制度を整える

徐庶 曹操 下る 三国志

 

曹操は有能な人材であれば、犯罪者でも品行方正でなくても、賄賂を受け取っていた者でも

召し抱えると全国に布告。

さらに彼は魏国の各県に「戦に明け暮れ、ようやく我が国には戦が無くなった。

しかしこの動乱によって仁義・礼などを知らずに育ってきた者がた多くいるであろう。

そこで私はこれらを教育する場所を建設し、優秀な人材が育ってるように」と

教育制度を整えるように布告します。

この結果、曹操が領有している各県では公費で教育する場所(現在でいう学校)が建設され、

特に優秀なものは仕官することになっていきます。

 

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三国志ライター黒田レンの独り言

黒田廉

 

曹操のこの二段構えの政策によって多くの有能な人材が魏国で仕官することになります。

求賢令に応じて仕官してきた人材が曹操の時代や曹丕(そうひ)曹叡(そうえい)の時代にまで

活躍することになり、魏国の安定をもたらすことになるのです。

この曹操の政策がなければ蜀や呉を圧倒し続けることは難しかったのではないかと

レンは考えます。

 

参考文献 講談社 乱世の英雄 尾崎秀樹著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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