そうか!曹叡が豹変したのは、孔明が死んだからではなかった!


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魏の二代皇帝、曹叡(そうえい)、統治の初期は大変に有能で、戦争も強かった彼ですが、

諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)の死後、緊張の糸が切れ人が違ったように

大建築物をバカバカ建てまくる浪費家になり、魏の屋台骨を傾けてしまいます。

しかし、曹叡が豹変したのは、実は孔明の死のせいではないようなのです。

 

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曹叡の上に君臨していた郭皇太后

 

曹叡が即位した時、皇太后だったのは、曹丕の妃であった郭氏(かくし)でした。

三国志演義では、曹叡の生母である甄后(しんき)を野心の為に曹丕に殺させて、

曹叡に恨まれて自害に追い込まれたとされる郭氏ですが、それは正史には見られず、

魏略と漢晋春秋という文献にしか見いだせません。

 

魏書や魏志が伝える郭皇太后は、曹丕に度々、アドバイスをする賢女であり

大変な倹約家、そして、自分の一族が自身の名前で立身出世しようとするのを

批判してたしなめるなど、慎ましい女性でした。

 

郭皇太后の実家は、元々、長史の家柄で父は郭永(かくえい)と言いました。

彼女は、郭永の娘の中で特に聡明だったようで、郭永は親バカで

「この子は娘の中の王だ」と言い、字を女王としたと書かれています。

 

 

ところが幸せな生活は長く続かず、父母も兄弟も早く死に、戦乱の中で、

彼女は流れ流れて、幷州上党の銅鞮侯(どうていこう)家の下僕に落ちぶれました。

しかし、曹操(そうそう)が魏公となった時、彼女を見て気に入り曹丕の東宮に入ります。

このような経緯があり、彼女は質素で慎ましく分限を弁えていました。


曹叡は、郭氏を敬い、その言葉に従っていた

 

曹叡は、母を殺した張本人として郭皇太后を恨んでいたとされていますが、

正史では、明帝は即位すると、郭后を尊んで皇太后とし永安宮と称しています。

そればかりではなく、230年には、詔で郭皇太后の従兄の郭表(かくひょう)を

安陽亭侯に封じ、後には、郷侯に進めて食邑を増して五百戸にして

中塁(ちゅうるい)将軍に任命します。

 

郭表の息子も騎都尉に任命し、皇太后の父母にも称号を与えるなど厚遇しています。

本当に郭皇太后を母の仇と恨むなら、ここまでするでしょうか?


郭皇太后の死去後も、その一族を引き上げている

 

百歩譲って、前漢の呂后のように、その勢力が強く、死ぬのを待ってから、

一族を排除しようとしていた可能性もあるとしましょう。

それなら、郭皇太后が死んだ後、郭氏は追い落とされる筈です。

 

ところが、現実には、そうならず、曹叡は、235年に郭皇太后が死んだ後も、

郭表の爵位を進めて観津侯とし食邑五百を増し前と併せて千戸としていますし、

一族の郭詳(かくしょう)も位を進めて駙馬都尉(ふばとい)とし、

董氏を堂陽君にし、死んだ皇太后の兄の郭浮(かくふ)も梁里亭戴侯と追封するなど

郭氏を手厚く累進させています。

 

魏書には、郭皇太后の柩を前にして曹叡が、丁重に供え物をし胸をかきむしり

地を蹴りあげて哀切な声を挙げて泣いたともあり、どう見ても、郭皇太后の柩を

恨みから辱めたとは思えません。


  

 

締まり屋の郭皇太后が死んでから曹叡の常識感覚が壊れた

 

郭皇太后は、大変な締まり屋でした、曹丕の陵も薄葬で質素なものですし、

一族にも、曹丕の陵墓を手本にしなさいと教えています。

と言う事は、もちろん義理の息子である曹叡にも「贅沢はダメ」と教えていた事でしょう。

それを受けて曹叡は、贅沢を慎み、義母の為にもよい皇帝であろうとしたようです。

 

ところが、郭皇太后が、235年に死去すると曹叡のタガが外れます。

急に大土木工事を開始し大宮殿を造り出すのは、その直後に始まっているのです。

そればかりか、曹叡は郭皇太后の没後から正妃を殺したり、一度結婚した女性を離婚させ

兵士と再婚させるなど、変な法令を連発するようになります。

 

よく考えると、遥かに遠い孔明からの重圧より、締まり屋で賢い義母の重圧が消えた

その事の方が、曹叡に大きな影響を与えたのではないでしょうか?

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

曹叡がどうして変になったのか?それについては、色々な説がありますが、

身近にいた締まり屋の義母が亡くなったというのは盲点ではないでしょうか?

ですが、曹叡が狂い出した時期と郭皇太后の死没の時期は確かに重なっています。

こうして考えると、曹叡の暴走は、皇太后の死と無関係ではないようです。

 

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コメント

  • コメント (1)

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    • 新☆亀★八
    • 2020年 10月 15日

    確かに面白い興味深い内容
    だね!




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