雍州・涼州の反乱勢力や異民族を討伐したことで、数十年間安定した雍州・涼州二州の統治を行ってきた張既(ちょうき)。彼が亡くなると息子である張緝(ちょうしゅう)が彼の跡を継ぐことになるのですが、一体どのような人物であるか知っている人はほとんどいないのではないのでしょうか。今回ははじさんおなじみの『マイナー文官列伝』として、張緝をご紹介していきたいと思います。
適切な意見を述べたことで中央政界へ進出
張緝は張既が亡くなると彼の跡を継ぐことになります。彼は温という町の役人をしていたのですが、諸葛孔明が漢中から出撃して魏軍の領土に侵入した際、状況に適した助言を政府の高官へ行ったことがありました。曹叡(そうえい)の側近である孫資(そんし)は張緝の助言を聞いて、計略に優れた人材であると判断し曹叡に進言したことにより、張緝は騎都尉(きとい)の位が与えれることになります。張緝は騎都尉の位を与えれると曹真が行った蜀軍討伐戦に参加。魏軍はこの戦いで戦果を挙げることはできませんでしたが、張緝はこの戦いが終わると尚書郎の位を下賜されて中央政界へ進出することになります。
占い師に占わせる
曹叡は張緝に優れた才能があると考えてとりあえず占い師に彼を占わせることにします。すると占い師のから驚くべきことを聞きます。占い師は曹叡へ「二千石の官職でしょう」と占い結果を述べます。曹叡は彼の才能が優れていると信じていたので「バカ野郎。おまえの目は節穴か!!」と激怒して追い払ってしまいます。そして彼は才能ある張緝を引き立てるために彼の娘を側室として、後宮に入れることにします。
権力を手にれてドケチ化する
張緝は娘が後宮へ入ったことによってガンガン官職が上がって行きます。そのため収入も倍増することになるのですが、彼はその収入を一切親戚や友人に分け与えることをしませんでした。また権力が増したことによって傲慢になっていったそうです。
諸葛恪の死を予言する
呉の孫権が亡くなると孫亮(そんりょう)が二代目皇帝として君臨。彼はまだ幼かったために諸葛瑾(しょかつきん)の息子である諸葛恪(しょかつかく)が、政権を運営していくことになります。
彼が呉の丞相として君臨すると魏へ攻撃を仕掛けて大勝利を飾ることになります。このことを知った張緝は魏の政権を握っていた司馬師(しばし)へ「彼は遠からず亡くなると思います。」と予言。司馬師は張緝へ「なぜそんなことを断定できるのかね」と質問します。すると張緝は司馬師へ「彼の功績は皇帝を凌駕しており、彼の評判は呉の民衆達全てが知っております。このような状態の彼が死なずに済むわけがないでしょう。」と諸葛恪の死ぬ原因を述べます。この結果、張緝の予言通り諸葛恪は暗殺されて亡くなってしまいます。司馬師は彼の予言が当たったことを喜び側近たちへ「張緝は遠くに居ながら諸葛恪の死を予言して彼の言うとおりになった。やつは諸葛恪を超える人材じゃ」と張緝を褒めまくったそうです。
三国志ライター黒田レンの独り言
張緝は曹叡や司馬師にも認められるほどの才能を持っておりましたが、友人の計画のずさんさを指摘することができませんでした。張緝の友人である李豊(りほう)は司馬師を排斥して、夏侯玄(かこうげん)を大将軍にしようとする計画を立てます。しかし司馬師にこの計画がバレて処刑されてしまいます。そして彼と仲のよかった張緝も協力していたため、罪に連座することになり一族郎党殺害されてしまうのです。張緝は非常に才能豊かな人物でしたが、性格が良くなかった為に友人の計画のずさんさを指摘することができずに巻き込まれてしまいあっけない最後を遂げるのでした。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書3 今鷹真・井波律子著
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