関羽・張飛・趙雲の息子達は勇将だったの?蜀の二代目特集

2017年8月8日


 

 

蜀の五虎将軍(ごこしょうぐん)の中でもトップクラスの知名度と人気を誇る関羽張飛趙雲

劉備の初期から支えた三人はそれぞれ名将や勇将として蜀の中でも絶大な信頼を劉備から得て、

敵国であった魏や同盟国・呉からも恐れられた将軍です。

しかし関羽・張飛・趙雲の三人の息子達は父に似て勇将だったのでしょうか。

今回はこの関羽・張飛・趙雲の三人の武将達の息子達についてご紹介しましょう。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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神と崇められた関羽の息子は実力あり!?関興と関平

 

関平は関羽と共に魏の名将・曹仁(そうじん)が守備している樊城へ出陣。

初戦は関羽率いる蜀軍が優勢でありましたが、

蜀の同盟国であった呉が裏切った事によって、

関羽の本拠であった南荊州(みなみけいしゅう)が陥落。

関羽は関平と共に成都へ帰還をしようと試みますが、

孫呉の軍勢に捕まってしまい亡くなってしまいます。

劉備は関平が亡くなると関平へ壮繆(そうぼく)侯として諡しております。

このことから関平は武将として実力のあったと考えられるのではないのでしょうか。

また三国志演義では関羽の養子となった関平ですが、

正史三国志では関平を関羽の子供と記しているだけで養子ではなかったようです。

しかし関羽の息子であった関興の兄貴だったのかはわかりません。

レンの推測では関平が関羽の長男で関興は次男であったと考えております。

その理由は関平は関羽と一緒に樊城攻略戦に参加しており、

関興は樊城攻略戦に参加してないためです。

さて関羽の次男である関興(かんこう)は樊城攻略戦に参加しておらず、

成都に留まっていたことがきっかけで父・関羽の跡を継ぐことになります。

関興は幼少期から名声が高くあの蜀のスーパー丞相・諸葛孔明(しょかつこうめい)から

可愛がられていたそうです。

孔明は関興を可愛がっていたことから20歳で役職を与えており、

将来を非常に期待されていた人物だったのですが、

病にかかって20歳をいくばくか過ぎた頃になくなってしまったそうです。

もし関興が長生きしていれば蜀の北伐戦に参加して、

その勇名を蜀の国内だけではなく、

魏の領土まで響き渡らせていたのではないのでしょうか。

 

勇将・張飛の二代目は文官として名を馳せた:張紹

 

劉備軍の最古参の武将としてその名を関羽と一緒に知られた張飛。

張飛の名を一躍全国に知らしめたのは長板の戦いではないのでしょうか。

河北を統一した曹操は天下統一へ向けて荊州(けいしゅう)へ向けて軍勢を南下。

劉備軍は曹操軍の大軍に敵対できない為、荊州の南へ向けて逃亡を開始します。

劉備軍は民衆を連れていたため素早く行動できなかった事がきっかけで、

曹操軍の軽騎兵に追いつかれそうになります。

張飛は曹操軍の軽騎兵が劉備軍に追いつきそうになると自ら殿(しんがり)を買って出て、

少数の劉備軍を引き連れて曹操軍を押しとどめることに成功。

この結果、劉備軍は曹操軍の追撃を逃れることになるのです。

この長板の戦いでの活躍によって張飛の名前は一躍有名になり、

敵国から恐れられる将軍としてその名が刻まれることになります。

さて蜀の勇将としてその名を知られた張飛の息子は、

父親のように戦に出て活躍していたのでしょうか。

残念ながら父親のように戦に参加して活躍はしていませんでした。

三国志演義に登場して関興と義兄弟の契りを結んだ張飛の息子・張苞(ちょうほう)は、

正史三国志によると若い頃に亡くなってしまい戦場に出ることはありませんでした。

また張飛の次男である張紹(ちょうしょう)は武将として活躍するのではなく、

文官として蜀に仕えておりました。

劉禅(りゅうぜん)の外戚となっていた事もあり蜀の朝廷で内政に関わっており、

官位は尚書僕射(しょうしょぼくや)にまで上り詰めております。

それなりに文官としては優秀であったかもしれませんが、

武将としての能力はからっきしだった張飛の息子でした。

 

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忠誠心と胆力の塊・趙雲の息子は長男は要職に上り、次男は戦で奮戦

 

五虎将軍としてその名を知られていた趙雲。

五虎将軍の中でも一位、二位を争うほどの知名度を誇り、

劉備に忠誠をもって仕えていた人物です。

趙雲は忠誠心だけが取り柄であったわけではなく肝っ玉も劉備軍一でした。

趙雲の肝っ玉を表すエピソードとして漢中での戦いがあります。

曹操は劉備軍によって漢中を奪われたことに激怒し、

漢中を奪い返すべく大軍を率いてやってきます。

こうして劉備軍と曹操軍は大軍を布陣させて対峙することになるのですが、

五虎将軍であった黄忠(こうちゅう)が曹操軍の輸送路を潰すべく手勢を率いて出陣。

趙雲は黄忠がいつまで経っても戻ってこない事を心配して、

趙雲自ら少数の兵士を率いて黄忠を探しに行きます。

趙雲は黄忠を探していると目の前に曹操軍の大軍が出現。

趙雲は曹操軍の大軍を見ても退却するのではなく、

曹操軍へ攻撃を積極的に仕掛けてちょっとづつ退却していきます。

その後砦まで退却することができた趙雲は、

全軍で曹操軍へ一斉に弓矢を放って撃退することに成功。

趙雲のこの活躍を知った劉備は趙雲を呼んで「子龍一身、全てこれ胆なり」と言って、

褒め称えます。

このように胆力においても劉備軍一であった趙雲ですが、

息子達はどのような活躍をしていたのでしょうか。

趙雲の息子は長男・趙統(ちょうとう)と次男・趙広(ちょうこう)がおりました。

長男の趙統は趙雲死後、虎賁中郎(こほんちゅうろう)、

督行領軍の位まで登ることになりますが、いつ亡くなったのかは全く不明です。

次男の趙広は姜維(きょうい)と一緒に北伐戦に参加し、

鄧艾軍に姜維率いる蜀軍は敗北してしまいます。

この時趙広は姜維率いる蜀軍を撤退させるために自ら殿を買って出て、

討ち死にしてしまったそうです。

蜀の二世武将達はほとんど戦に参加することはありませんでした。

しかし趙雲の息子(次男)は父に似て戦に参加しており、

討ち死にしてしまいますが、趙雲の名前を汚すことなく武勇に生きた武将と言えるでしょう。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

今回は関羽・張飛・趙雲の息子達にスポットライトを当ててご紹介しました。

蜀の二世武将で父に似ていたのは、

関羽の長男・関平と趙雲の息子・趙広だけだったのでしょうか。

そんなことはありません。

蜀のスーパー丞相として知られる諸葛孔明の息子・諸葛噡(しょかつせん)と

孫の諸葛尚(しょかつしょう)は鄧艾率いる魏軍が蜀へ侵攻してきた際、

蜀軍を率いて蜀の首都・成都(せいと)の最終防衛ライン綿竹(めんちく)で必死に防戦し、

玉砕しております。

また蜀の武将・霍峻(かくしゅん)の息子・霍弋(かくよく)は益州(えきしゅう)南部を統治し、

魏軍が蜀を降伏させた後劉禅の安全がしっかりと認められるまで魏に降伏しませんでした。

その後霍弋は劉禅の降伏が認められ、劉禅の身が安全であることを知って魏に降伏。

司馬師は霍弋の潔癖さと忠誠心を褒め称えて優遇したそうです。

このように蜀の二代目の武将達も以外と戦場や忠誠心に溢れた人物がいたのです。

しかしレンはこれら二代目武将達が蜀の草創期の勇名を馳せた武将達のように、

活躍する場所を与えてもらえなかったのが非常に残念な事であると思います。

もし蜀の草創期で活躍の場所を与えてもらえれば、

かなり有名になっていたのではないのでしょうか。

 

参考文献 新人物文庫 三国志それからの系譜 坂口和澄著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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