【みんなが知らない諸葛孔明】戦率99%!撤退戦では無敗だった!?

2017年8月7日


 

 

蜀の天才丞相・諸葛孔明(しょかつこうめい)。

劉備(りゅうび)の死後諸葛孔明は北伐を行います。

だが魏軍の鉄壁の壁に阻まれてしまったことや食料を上手く調達できなかったため、

成功することなく五丈原(ごじょうげん)で最後を迎えてしまいます。

そんな諸葛孔明を正史三国志の作者陳寿は

「諸葛孔明は魏を打倒するため毎年兵士を動かして魏を討伐するために北上していたが、

臨機応変の軍略が備わっていたなかった為魏を攻略することができなかった」と

孔明に軍略の才能がなかったと辛口コメントを述べております。

確かに諸葛孔明は北伐を成功させて魏を討伐することはできませんでした。

しかし諸葛孔明は撤退戦では無敗を貫いていた事を知っていましたか。

今回は撤退戦で無敗であった諸葛孔明の戦歴をご紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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撤退戦で無敗の諸葛孔明の戦歴その1:第一次北伐戦での撤退戦

 

はじめて諸葛孔明が北伐戦を行った第一次北伐戦。

この北伐戦は諸葛孔明の北伐戦の中で最初で最後の大チャンスでした。

だが諸葛孔明が可愛がっていた馬謖(ばしょく)が街亭の戦い(がいていのたたかい)で、

魏の将軍・張郃(ちょうこう)の軍勢に敗北してしまいます。

諸葛孔明は馬謖率いる蜀軍が敗北したことを知ると全軍に撤退を命令。

正史三国志・蜀書によると「諸葛孔明は西県の住民を益州へ連れて帰った」と

記載されているだけで撤退戦において

「敗北」の言葉はどこにも書かれておりませんでした。

このことから諸葛孔明は魏軍の追撃をうまくかわして益州に撤退したのか。

それとも魏軍が追撃することをしなかったのかはわかりません。

しかし一つ言えることは諸葛孔明がほとんど兵の損失を出すことなく、

益州(えきしゅう)へ帰還したと言えるでしょう。

そして諸葛孔明の撤退戦における無敗伝説はここから始めることになるのです。

 



撤退戦で無敗の諸葛孔明の戦歴その2:第二次北伐戦の撤退戦で敵将を討ち取る

 

諸葛孔明は孫呉の軍勢が石亭の戦い(せきていのたたかい)で、

曹休(そうきゅう)率いる魏軍をフルボッコにした事を知り、

蜀の皇帝劉禅(りゅうぜん)へ「再び魏を討伐するために出陣したいと思います。」と

進言。

劉禅は孔明の進言を受け入れて北伐を行うように命令します。

こうして第二次北伐戦が敢行される事に。

諸葛孔明の第二次北伐戦のターゲットは陳倉(ちんそう)城でした。

孔明は陳倉城に到着すると猛攻を開始。

しかし陳倉城は曹真(そうしん)が要害化していた事と

蜀軍キラー郝昭(かくしょう)の鉄壁の守備に阻まれてしまい、

蜀軍の猛攻を受けても陥落することなく兵糧が尽きてしまいました。

そのため諸葛孔明は陳倉城攻略を諦めて益州へ帰還することになります。

魏軍は諸葛孔明率いる蜀軍が撤退することを知り、

王双(おうそう)に命じて追撃を行います。

撤退戦のプロ・諸葛孔明は王双軍の追撃を知ると王双軍を迎撃して、

ボコボコにして撃退してしまいます。

更に追撃してきた王双を討ち取る戦果を上げることに成功します。

正に撤退戦のプロフェッショナルと言える諸葛孔明の

面目躍如と言える大戦果ではないのでしょうか。

 

北伐の真実に迫る

 

撤退戦のプロ・諸葛孔明の戦歴その3:第三次北伐戦の撤退戦で名将を討ち取る

 

諸葛孔明は陳倉城攻略戦に失敗した後、蜀の国力を充実させることに専念。

こうして蓄えた国力を背景に再び諸葛孔明は魏を討伐するため、

北伐戦を開始することになります。

諸葛孔明は今で食料輸送に失敗して撤退していることから新兵器・木牛を開発して、

食料の輸送効率アップを図ります。

しかし孔明は魏軍を打ち破ることができず食料が尽きてしまったため、

再び敗北してしまいます。

魏軍は蜀軍が撤退している事を知ると魏の名将・張郃(ちょうこう)に蜀軍を追撃するように命令します。

諸葛孔明は張郃が追撃している事を知ると木門に伏兵を設置。

孔明は張郃率いる魏軍が木門に到着すると伏兵に合図を出して攻撃を行います。

張郃は蜀軍の伏兵の攻撃を受けて討ち死にしてしまい、

魏の追撃軍は壊滅的なダメージを負って撤退していきます。

諸葛孔明はこれ程までに鮮やな撤退戦を行い勝利を収める事が出来るのに、

攻め手に回ったとたんあまりうまくいかないのはどうしてなのでしょうか。

そして最後の北伐戦が開始されることになるのです。

 

撤退戦のプロ・諸葛孔明の戦歴その4:最後の北伐戦での撤退戦でも無敗だった

 

諸葛孔明は第三次北伐戦から三年後再び軍勢を率いて魏を討伐するべく、

北伐戦を開始することに。

諸葛孔明は蜀の大軍を率いて五丈原と言われる場所に駐屯。

今回諸葛孔明は食料が調達できなくて撤退するのを避けるため、

五丈原において屯田(とんでん)を行い自給自足をしながら魏軍と対陣します。

こうして食料を自前で調達していくことに成功した諸葛孔明ですが、

魏軍を打ち破る前に自らの寿命が尽きてしまいます。

そして五丈原に大きな流れ星が落ちた時諸葛孔明の命が尽きて亡くなってしまうのでした。

そして最後の蜀軍の撤退戦が行われることになります。

諸葛孔明の最後の撤退戦は「漢晋春秋(かんしんしゅんじゅう)」によると

楊儀(ようぎ)達は蜀軍を整えて撤退を開始。

民衆は蜀軍が撤退した事を知ると司馬懿(しばい)へ報告します。

司馬懿は蜀軍が撤退したことを民衆から知ると急いで魏軍を率いて追撃を開始。

姜維(きょうい)は魏軍が軍勢を率いて蜀軍の後方に迫って来ると急いで太鼓を打ち鳴らし、

蜀軍を方向転換して魏軍の方へ攻撃を仕掛ける態勢を示します。

司馬懿は蜀軍が攻撃態勢を整えていることを知ると攻撃を中止して、

蜀軍の出方を伺います。

楊儀は魏軍が攻撃を開始してこないことを知り、

蜀軍を再び方向転換させて一気に益州へ向けて撤退するのであった。」と記しております。

そして上記の事を知った民衆は「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と行って、

魏軍の弱腰を茶化したそうです。

孔明亡き後の蜀軍はこの魏軍の追撃でほとんど損害を出すことなく、

撤退することに成功しております。

諸葛孔明は亡くなった後も撤退戦で見事な成果を上げることに成功しており、

死してなお撤退戦の無敗記録を打ち破らせなかったのです。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

レンはある意味諸葛孔明が軍事の天才だったかもしれないと考えております。

その理由は戦場で一番難しいのが撤退する時だからです。

なぜ撤退戦が一番難しいのか。

それは勝利した軍勢が敗北して逃げ惑う軍勢に対して猛攻をかけるからです。

もし撤退戦に失敗してしまえば撤退している軍勢は全滅する可能性があり、

三国志の史実でも撤退戦に失敗してしまい、

全滅してしまった例は枚挙にいとまがありません。

正史三国志の作者・陳寿(ちんじゅ)は「諸葛孔明は魏を打倒するため毎年兵士を動かして、

魏を討伐するために北上していたが臨機応変の軍略が備わっていたなかった為、

魏を攻略することができなかった」と述べております。

もし陳寿の言葉が正しかった場合諸葛孔明が撤退戦で幾度も魏軍の追撃を受けてしまい、

何度も蜀軍の大半を失い大敗北をしているはずだと思います。

しかし諸葛孔明は上記で説明したとおり、撤退戦で一度も魏軍に大敗北したことなく、

見事に蜀軍を益州へ撤退させております。

このように考えるのであれば諸葛孔明は攻めることが苦手であっただけで、

軍略の才能に乏しかったわけではないように思えるのです。

またレンは撤退戦で才能を見せるのも一種の軍事的才能であると考えるのですが、

皆様はどのように思いますか。

 

参考文献 中公新書 三国志 渡邉義浩著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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-諸葛亮