三国志の名将・鄧艾の栄光が終わることになった出過ぎた発言とは!?

2017年9月20日


 

 

出る杭は打たれる。

この言葉は頭角を現す人は周囲から嫉妬されて恨みを買ってしまう事の例えです。

さらにこの言葉には違う意味もあり出過ぎた振る舞いをすると批難され、

制裁を受けることの例えだそうです。

今回はこの言葉にピッタリな当てはまった名将・鄧艾(とうがい)をご紹介しましょう。

三国志の蜀を滅ぼす大功を立て、三国志後半の名将と言っていい鄧艾(とうがい)ですが、

出過ぎた発言を繰り返してしまったため、

自らの身に災いが降りかかってくることになってしまいます。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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古の名将達に勝るとも劣らない勲功を上げた名将・鄧艾(とうがい)

 

蜀を滅亡させる大功を立てた鄧艾。

蜀討伐の総司令官であった司馬昭(しばしょう)は鄧艾へ

「自ら嶮岨な山を超えて、

益州の中心地に進軍し蜀を滅亡に追い込んだ事は、

古の白起(はくき)が楚を打ち破った事や韓信(かんしん)が趙を平定した事、

後漢王朝を建国した劉秀(りゅうしゅう)の部下であった呉漢(ごかん)が反逆者であった

公孫述(こうそんじゅつ)を討ち滅ぼした事などよりも

鄧艾の功績は比較にならないほど大きい。

今回、古の名将たちが立てた功績よりも大きな功績を打ち立てた鄧艾には太尉(たいい)の

位と2万戸の加増を与え、息子達に侯の位を送ることにする。」と

莫大な恩賞を与えるのでした。

こうして鄧艾は一気に栄光への道を突き進んでいくことになります。

 

名将・鄧艾の出過ぎた発言その1:孫呉攻略についての発言

 

蜀が鄧艾の功績によって滅亡することになり

・呉・蜀の三国時代が終わりを告げることになります。

魏は蜀を併合したことによって残る敵国は呉のみになりました。

そこで鄧艾は蜀を滅亡させた勢いを持って孫呉に討ち入るべきではないかと考え、

司馬昭へ手紙を書き記すのでした。

「魏は蜀を平定したこの勢いのまま呉へ攻め入ると宣伝すれば、

呉の民衆や臣下達は恐れおののくでしょう。

今こそ呉を平定するべき最大のチャンスと言えるでしょう。」と書き記します。

そして鄧艾は得意分野である農業と呉を討伐する戦備について、

手紙を書き記していくのです。

 

北伐の真実に迫る

 

名将・鄧艾の出過ぎた発言その2:呉を討伐するためには農業と戦備を整えるべし

 

鄧艾は司馬昭へ続けて手紙を書き記していきます。

鄧艾は「蜀を討伐し終えた魏軍の兵士達は疲労がたまっております。

そのため兵士達には大いに休息を与えて呉討伐まで力を蓄えさせておくのがいいでしょう。

兵士達に休息を与えている間に塩業と製鉄業を盛んにし、

軍事と農業に力を尽くすべきです。

塩業と製鉄業を盛んにしている間に長江(ちょうこう)を下って

呉に攻めるための大型船を準備しておきます。

こうして呉に攻め込む戦備を整えた後、

呉へ使者を派遣して降伏を促せば、

呉の皇帝である孫休(そんきゅう)も敢えて魏に逆らうことをせず、

降伏してくることになるのではないかと思います。

そのためには蜀の皇帝であった劉禅(りゅうぜん)を都に送るのではなく、

益州にとどめおいて優遇すれば、呉も降伏しやすくなるのではないのでしょうか。」と

司馬昭に手紙を送るのでした。

司馬昭は鄧艾からきた手紙を読んだ後、

監軍(兵士を率いている諸将に対しての監察・査察を行う職務を有する役職)の

衛瓘(えいかん)に命じて「鄧艾に早まるなと伝えておけ」と命じます。

鄧艾は衛瓘から司馬昭の言葉を聞いて不服そうに頷くのでした。

この鄧艾の発言は司馬昭にとって不愉快な発言として受け取られてしまい、

名将・鄧艾の栄光からの転落が始まっていくことになります。

 

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名将・鄧艾の出過ぎた発言その3:春秋と孫子を併用して再度呉の討伐を申し出る

 

鄧艾は衛瓘から司馬昭の注意を聞くと再び筆をとって進言を再度行います。

鄧艾は「今。蜀を平定し呉と国境を接することになり、

いち早く呉を討伐するべきであると思います。

司馬昭様のご命令を待っていたのですが、都から益州までかなりの距離があり、

往復するだけでかなりの時間を要することになります。

「春秋(しゅんじゅう)」曰く『大夫は国境を出て国家に利益を与えることがある場合、

専断権を行使して良い』と記しております。

また孫子の兵法書には『戦が起きた場合君主の命令を無視して、

進んでいく時には名声を求めず、退くときには罪を得ることがない』と記しております。

これらの書物を引用したのは呉を討伐する最大のチャンスだからです。

司馬昭様に疑われることになりましたが、

自己利益のみを追求しているわけではなく魏の国家のために考えているのです。

何卒ご理解して頂ければと存じます。」と司馬昭へ再度手紙を送るのでした。

しかしこの二度目の手紙が鄧艾にとって命取りになってしまうのです。

 

名将から囚人へ

 

鄧艾はこの手紙を司馬昭へ送った時、

蜀討伐作戦の将軍であった鍾会(しょうかい)達に反逆を企てていると考え、

司馬昭へ「鄧艾が益州で反逆を企てております」と密告。

司馬昭は鍾会の意見を取り入れて「鄧艾を反逆罪で都へ護送せよ」と命令を下します。

こうして鄧艾は囚人護送車に乗せられて都へ向かうことになってしまいます。

古の名将と遜色ない大功を立てることに成功した鄧艾ですが、

呉討伐の進言を行ってしまったため、

栄光から一気に転落し罪人となって都へ送られることになってしまうのでした。

鄧艾は囚人護送車に乗り込んだ時「私は魏の国家に対して忠義を持って仕えていた。

それにも関わらず囚人として送られることになるとは、

古の秦の無敵将軍・白起の気持ちをようやく理解することになった」とポツリと

述べたそうです。

 

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三国志ライター黒田レンの独り言

 

鄧艾は囚人護送車で送られることになったのですがその後一体どうしたのでしょうか。

鄧艾の最後についてご紹介したいと思います。

鍾会は鄧艾を反逆罪で密告した後、

蜀の将軍であった姜維(きょうい)と組んで魏に対して反乱を起こします。

しかしこの反乱は失敗に終わってしまい、鍾会と姜維は殺害されてしまうのでした。

鍾会・姜維の反乱が失敗した後、

鄧艾の部下達が囚人護送車で都へ送られている途中であった鄧艾を救出。

だが鄧艾は殺害されてしまうのでした。

鄧艾を殺害したのは監軍・衛瓘でした。

衛瓘は鄧艾が救出されたことを知ると

蜀討伐戦で鄧艾に恨みを持っていた将軍・田続(でんしょく)へ

「鄧艾を殺害して恨みを晴らしてくれば。私は黙っとくからさ」とそそのかします。

田続は恨みを晴らすべく綿竹(めんちく)にやってきた

鄧艾と息子の鄧忠(とうちゅう)を殺害。

さらに洛陽(らくよう)にいた鄧艾の一族達も全員処刑され、

鄧艾の奥さんと孫は西域に流罪となってしまうのでした。

戦術的な見地から呉討伐を進言した鄧艾でしたが、

出過ぎた発言であったため周りから批難され、

しまいには上司であった司馬昭から制裁を受けるはめになってしまうのでした。

この鄧艾の出過ぎた発言には現代人である私達にある忠告をしております。

それはあまり空気を読まないで出過ぎた発言を行わないように謹んで、

行動していきましょうと言うことです。

でないと鄧艾みたいに制裁を受けてしまう事になってしまうかもしれませんよ。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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