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【三国志刀剣乱舞】三国志武将が持っていた名刀・名剣を紹介するよ

2017年11月27日


 

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最近は、刀剣乱舞というような、日本の古来の名刀を擬人化(イケメン化)したアニメやゲームアプリが大人気ですが、名剣や名刀の類が日本にしかないわけではありません。三国志の時代の中国にも、名刀はあり、その記録も残っているのです。そこで今回は、陶弘景の編纂した古今刀剣録に記録される三国志時代の名刀・名剣を一挙に紹介しましょう、名付けて三国志キャラ刀剣乱舞一覧です。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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【三国志刀剣乱舞】1 北方の雄 袁紹の持っていた名剣 思紹(ししょう)

 

官渡の戦いで曹操に敗れるまで、天下に一番近かった袁紹(えんしょう)の持っていた名剣が思召です。古今刀剣録の記述によると、夢の中に出現した神人から授かったとか、、ちなみに、思紹とは、思(糸)+召で「紹」の字を表しています。つまり、この名剣の名前は袁紹という意味ですね。うん、ぶっちゃけ、ネーミングがダサい!

 

 

【三国志刀剣乱舞】2 劉備が造らせ孔明が佩く 蜀帝八剣の1本 章武

 

あの劉備(りゅうび)が皇帝に即位した記念に造り出したとされる蜀帝八剣の1本が章武(しょうぶ)です。章武は、蜀の昭烈帝劉備が定めた蜀漢の年号で、その名前が剣に刻まれたこの剣は、蜀帝八剣の1本と考えられています。古今刀剣録では、元々は、諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)が保持していたものが、唐の時代の李師古(りしこ)に受け継がれたとされています。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

 

 

【三国志刀剣乱舞】3 列郡司馬拝名時に製造 司馬

 

呉の名将である蒋欽(しょうきん)が、列郡司馬の拝名を受けた記念に製造したのが名刀、司馬です。地味な名前ですが、おそらく刀身に司馬の文字を刻んだのだと思います。どうやら、当時は、役職を拝命した時に、刀剣を造る習慣があったようです。

 

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【三国志刀剣乱舞】4 南蛮のインテリ武将 孟獲の双剣 鬆紋廂寶劍

 

南蛮のワイルドダンディーの1人、孟獲(もうかく)も双剣を保持していました。それが、鬆紋廂寶劍(しょうもん・ほうしょうけん)と言い雌雄の剣で両手装備をしています。ただ、これは通俗小説三国志演義の記述なので、架空の剣です。

 

 

【三国志刀剣乱舞】5 青龍堰月刀だけじゃない 関羽の名刀 万人敵

 

劉備の義弟の関羽(かんう)といえば、赤兎馬と青龍堰月刀ですが、古今刀剣録によるとそれ以外にも、万人敵(ばんにんてき)という名刀を持っていたそうです。関羽は、この刀を愛していたらしく、死後に他人に渡る事を惜しんで、河に捨ててしまったと言われています。

 

関羽

 

 

【三国志刀剣乱舞】6 蛇矛ばかりではない 張飛の名刀 新亭侯

 

関羽と同じく、蛇矛(じゃぼう)で有名な張飛(ちょうひ)ですが、古今刀剣録によれば、新亭侯に任じられた時に、新亭(しんてい)侯という刀を製造したようです。こちらも、刀に新亭と名前を刻んだのでしょうか・・

 

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張飛

 

 

【三国志刀剣乱舞】7 鐘会が持っていた名刀 太一 太乙

 

魏のエリートでありながら、蜀を征服した後に独立の野心を持ち、姜維(きょうい)もろとも討伐されてしまった鐘会(しょうかい)。彼が持っていた名刀が、太一(たいつ)・太乙(たいいつ)という二本の刀でした。古今刀剣録の記録では、太一・太乙は自分で河に飛び込んで消えたそうです。

 

姜維特集

 

 

【三国志刀剣乱舞】8 ボンクラ皇帝に似合わない名前の名剣 中興

 

後漢を滅ぼしたボンクラ皇帝霊帝(れいてい)、彼の時代に4口造られた名剣が中興です。中興(ちゅうこう)とは、一度滅びた物を再建するという意味ですが、だとすると、こんなに霊帝に似合わない名前の剣はないでしょう。或いは、図々しくも、「朕が傾けた後漢王朝を、この剣を持つ人、どうか再興してちょ~」という意味だったのでしょうか・・

 

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【三国志刀剣乱舞】9 全然似合わない劉禅の巨剣 鎮山剣

 

鎮山(ちんざん)剣は、一丈二尺(3メートル60センチ)もある巨剣です。古今刀剣録によると、これを保有していたのは、なんと劉禅(りゅうぜん)でした。あいつに、こんな巨大な剣が振えたとは思えませんが、或いは、お付きの武官に持たせていたのでしょうか・・しかし、名剣とはいえ、簡単に振れない非現実的な巨剣を持つ辺りは現実離れした占いを信じた劉禅らしいとも言えますか・・

 

劉禅

 

 

【三国志刀剣乱舞】10 曹操に殺された楊脩が持つ 文士剣

 

あの袁術とも血縁がある文官、楊脩(ようしゅう)、後継者争いで曹植(そうしょく)を担いで、曹操(そうそう)に才能を危険視され殺された彼は文士剣という一尺六寸八分(50センチ程度)の名剣を持っていました。こちらの剣には、剣身に揚脩という文言が刻まれていて揚脩剣とも言います。面白いのは、揚脩はこの文士剣を生前に曹丕(そうひ)に譲渡していた事で、曹丕は時々、文士剣を取り出しては、揚脩が自分に冷淡だった事を思い起こしていたようです。

 

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【三国志刀剣乱舞】11剣豪で刀剣マニア 曹丕の名剣 龍鱗

 

曹丕は、大変な剣術家で、武芸に精通した奮武将軍の鄧展(とうてん)を倒した程でしたが、同時に、刀剣コレクターとして、複数の名刀・名剣を保持しています。こちらの龍鱗(りゅうりん)も、そんな1本で竜文に似た彩りを放ったそうです。

 

 

【三国志刀剣乱舞】12 畑で偶然発見のプライスレス 董卓 項羽剣

 

 

暴君の代名詞、董卓(とうたく)がまだ野良仕事をしていた昔、土の中から出てきたのが、西楚覇項羽(こうう)が持っていたとされた項羽剣です。この剣のせいで、董卓が暴虐になったと言わんばかりですが、多分関係ないです。

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

いかがでしょうか?関羽や張飛、蒋欽のような、いかにもな武人ばかりか、孟獲や、劉禅や、孔明、さらには、揚脩までもが名剣を持っているのは、意外だったのではないでしょうか?本家刀剣乱舞はツイッターでも拡散されまくりですが、三国志刀剣乱舞も拡散してくれるといいですね。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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