三国志では巨漢の猛将たちがひしめきあっていますが、はたしてどのくらいの身長だったのでしょうか。今回は猛将といえばこの方、蜀の張飛にスポットを当てて考察していきます。
私の張飛のイメージとしては身長が180cmで体重が100kgくらい、親指と人差し指だけで林檎を潰せるような感じですね。
張飛の身長は何センチ(cm)あったの?
張飛は「三国志演義」の記載によると身長が「八尺」となっています。八尺? 尺という単位は現代の日本ではほとんど耳にしませんね。イメージがしにくいです。中国の「一尺はおよそ33cm」にあたります。ということは、張飛の身長は264cmですね。3mに迫る勢いです。
いくら一騎当千の猛将といえどもこの身長はやりすぎですね。実は尺という単位は時代とともに長くなっているのです。漢の時代では「一尺はおよそ23cm」になります。この計算だと張飛の身長は184cmです。まさにイメージぴったりですね。
三国志時代の漢人の身長は高かったの?
食生活や摂取できる栄養のことを考慮すると現代人よりも平均身長が高かったとは考えにくいですね。ただし戦場で重い甲冑を身にまとい、武器を手にして活躍するためには人並み以上の体格は必要だったでしょう。猛将と呼ばれた武将たちはかなり身長も高かったのではないでしょうか。
ちなみに身長が低いことで知られる曹操は、三国志演義によると身長が七尺です。漢の時代の計測ではおよそ161cmですね。これは平均身長と比べて小さいということではなく、他の英雄・豪傑と比較すると小柄だったということではないでしょうか。
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呂布の身長は何センチ(cm)あったの?
三国志最強を誇る呂布の身長はどのくらいあったのでしょうか。三国志演義によると「身の丈は一丈、腰回りは十囲」とあります。すでに単位が違いますね。「十尺=一丈」ですから、単位変換をすると呂布の身長は230cmです。想像を絶する大きさですが、実際に日本人のバスケットプレーヤーにもこの身長の選手はいますし、ルーマニアには15歳でこの身長のバスケットプレーヤーがいます。あり得ない話ではありませんね。
ちなみに張飛が愛用する「蛇矛」は「丈八蛇矛」とも呼ばれますが、一丈八尺あります。呂布と張飛の身長の合計と同じですね。つまり414cmです。4mの長さの武器を自由自在に馬上で振るうということは可能なのでしょうか。馬上ではありませんが、日本の戦国時代には10mの長槍を装備した足軽部隊があったそうです。
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関羽と張飛はどっちが強いの?
関羽と張飛はどっちが強いのか、明確に答えることは難しいですね。ただ、関羽自身が「自分よりも張飛の方が強い」と曹操に答えています。プライドの高い関羽が認めるのですから、本当に相当強かったのだと思います。
張飛は勢いに乗せると実力以上の力を発揮しそうなので、その時の気分次第かもしれません。私の勝手な予想ですが、関羽と10回ほど一騎打ちしたら、6回は張飛が勝つのではないでしょうか。いや、25回勝負して張飛の13勝12敗くらいかも……どちらにせよ僅差ですね。
三国志ライターろひもとの独り言
ということで、張飛の身長は2mを超えてはいないと思われます。しかし大柄だったことは間違いなかったのではないでしょうか。
実は身長は関羽の方が高い設定になっており、九尺と記されていますから、およそ207cmです。ですから2mを超える巨漢といえば、呂布や関羽ということになりますね。
小柄なイメージのある劉備ですが、七尺半から八尺あったそうです。張飛と同じ身長の劉備はなんだか違和感があります。身長と戦闘力にどこまで相関があるかはわかりませんが、劉備も強かったのかもしれませんね。意外に関羽や張飛よりも劉備の方が強かったかもしれませんよ。