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趙達とはどんな人?数学知識を駆使して未来を予言した男

2018年3月12日


 

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三国志の時代は世の中が乱れ、人心は不安定でした。誰もが将来に不安を感じていて、宗教や占いが大流行して黄巾(こうきん)の乱もその延長線上で発生した宗教反乱であったのです。

 

于吉と張角

 

三国志には、于吉(うきつ)左慈(さじ)管輅(かんろ)李意其(りいき)と言うような仙人が登場しますが、彼らの予言は完全に神秘的な能力で他人が簡単には真似できないものでした。しかし、今回、紹介する趙達(ちょうたつ)は仙人のような神秘主義ではなく算木を使用して計算を行い数学的な知識を駆使して多くの予言を行ったインテリ数学者だったのです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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算木を用いる数学的な趙達の予言方法

 

趙達は生没年不詳、司隸河南郡(しれいかなんぐん)の出身で後漢末から三国時代の人物でした。若い頃から精緻で綿密な思考を得意としていた趙達は後漢の侍中(じちゅう)単甫(ぜんほ)の元で学問を修めています。その後、中原が騒がしくなったので占ってみると東南の地方には王者の気がありここから帝王が出現するので、ここに行けば難を逃れると考え移住していきました。もちろん、東南の地とは呉の支配地である揚州を意味しています。さて、趙達が他のスピリチャルな仙人や占い師と大きく違うのは、彼が「九宮一算の術」という占術と数学をミックスしたような技能を売りにした点です。

 

趙達が九宮一算術を誰から習ったかは書かれていません。おそらく持ち前の精緻で綿密な性格を駆使し、従来の天文や計算術を改良し人の運命や未来を予想する計算術を編み出したのではないでしょうか?

 

 

他の予言者と異なる趙達の数を当てる秘術

 

私達は現代人の奢りで古代の人々なんか掛け算位しか出来ないんじゃない?

 

等と罰当たりな事を考えますが、それはとんでもない間違いです。例えば、日食を割り出す計算方法は、三角関数の数学知識が必要であり今でも文系人間がコンピュータ無しに割り出すのは結構大変なのです。中国人は紀元前の昔から、2センチ程度のマッチ棒のような算木という道具で代数方程式のような複雑な計算を延々とやり続け、暦を生み出して、天体の運行を予測し、国家儀式や種まき収穫のような農業技術に応用しました。趙達は精緻で綿密な性格だというので数学が得意だったのでしょう。実際に、それを裏付けるような逸話が残っています。

 

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数学の力で占いを的中させる趙達

 

例えば、趙達は飛翔している(いなご)の正確な数を割り出したという話があり、それを疑った人に対しては、ムシロの上にランダムに小豆を撒かせ数を数えずに算木を使って小豆の数を言い当てたと言われています。これなど確実に占いではなく、蝗の飛翔している空間の立方メートルと蝗のサイズから計算して凡その数を割り出したのでしょうし、小豆の数は、これを撒く人間の手の平の容積から撒ける小豆の個数を出したと推測できます。

 

もう一つ、ある人が趙達の占いを試そうと、大きな倉庫に何万という白紙の竹簡(ちくかん)をしまい込んで扉を施錠してから、趙達に数を当てさせようとした事があります。この時も趙達は算木で占い、竹簡の数を当てた上、それが白紙である事まで言い当てて人々をビックリさせたそうです。

 

竹簡が白紙かどうかまでは分かりませんが、倉庫の容積と竹簡のサイズを頭に入れておけば竹簡の数を割り出すのは難しくないでしょう。これらは数学の知識がない当時の一般庶民には完全に魔法に見えたと思います。少なくとも、上記に挙げたような逸話はスピリチャルな能力ではなく趙達が数学知識で答えを割り出したケースだと考えられるのです。

 

 

自分で編み出した占術だから伝授を惜しんだ

 

三国志に登場する仙人には、気前よく長生きの秘訣を教える人や、南華老仙(なんかろうせん)のように張角(ちょうかく)に気まぐれに「乱れた世を糺せ」と太平要術(たいへいようじゅつ)の書を授ける気前の良い人がいますが、趙達は自分の占術を惜しんで誰にも教えようとはしませんでした。

 

闞沢(かんたく)殷礼(いんれい)のような名だたる儒者が教えを請うても門前払いし、太史丞の公孫滕(こうそんとう)は、若い頃から趙達に師事し一生懸命に学んだので、一時、趙達は占術の書物を与えようと考えましたが、途中で惜しくなり占術の書は盗まれたと理由にならない事を言い、うやむやにしました。

 

遺失物を探すのも趙達の得意なのですから占いで探せばいいのですがこの時はダンマリを通して何もしていません。自分が苦心して編み出した占術を人に与えるのが惜しくなったのでしょう。このようなケースは趙達に限らず、ニュートンやフェルマーのような科学者や数学者には見られ、自分が苦労して得た知識を他人に与える事を躊躇してしまうわけです。自分の占術を後世に残したいという気持ちもあったでしょうが「苦労して得た知識をタダでやりたくない」という気持ちがそれに勝り、とうとう九宮一算術は後世に伝わらなかったのではないでしょうか?

 

 

趙達激白!諸葛亮や司馬懿はバカ

 

当時、占いには占星術や風を読む方法もありました。しかし、趙達はこのような占いを端からバカにしていたようです。

 

「帷幕の中で算木を廻らせ、戸外に出ずに天道を知るのが占いなのに昼夜、戸外に身をさらし寒暑に耐えながら予兆を読み取ろうとする人々は誠に御苦労千万なことだな」

 

趙達の占いは自然現象を読んだり、天体運行の記録をつけるのではなく軍営に閉じこもり、ひたすら算木(さんぼく)をこねくり廻して結果を出すものでありそうではなく、野外に出て星と惑星の動きを見ている人々は無意味な苦労をしているバカだと思えたのでしょう。

 

曹操 ポイント

 

つまり、蜀の有名な天才軍師や魏を簒奪し晋の礎を築いた陰険将軍は、趙達から見れば、取るに足りない人々なのです。

 

 

孫権に仕えるがやっぱり占術の秘密は喋らず・・

 

趙達はいつ頃からか不明ですが、孫権(そんけん)に仕えはじめます。さっそく孫権は趙達に戦の吉凶を占わせますが、百発百中で孫権は感心しきり、そこで、占術の秘密を教えてくれと頼みますが趙達の返事はNoでした。不機嫌になった孫権は、趙達を露骨に差別し官位も上げなかったので、趙達は占いは100%的中にも関わらず、身分は低いままでした。

 

皇帝に就任した曹丕

 

西暦224年、魏の曹丕(そうひ)は呉討伐の軍を起こし広陵まで侵攻してきます。孫権は徐盛(じょせい)の献策を用い、長江沿いにハリボテの城を築いて対抗しました。曹丕は巨大な城が出来ていたので、呉の備えは万全と考え退却します。この時、孫権は戦の推移を趙達に占わせました。すると趙達は「曹丕が逃げ出しますが呉は庚子(こうし)の年に滅亡いたします」と答えました。孫権が聞き咎めて「いつの庚子だ」と訊ねると、趙達は指を屈して計算し58年後でございますと返答すると、孫権は、なーんだと安心し

 

 

「今も生きるのに精一杯なのに、そんな先の事は知らん子孫が考える事じゃ」

 

そう言って、少しも深刻に考えなかったそうです。結局、趙達の予言は的中し58年後、西暦280年に呉は滅亡しました。いくら58年後とはいえ、少しも動じないとは孫権、呑気と言うか、いい加減な性格と言うか・・

 

 

自分の寿命を予言し、その通りに死去

 

ある時、趙達は何を思ったか自分の命運について占いました。それは自分で思った以上に尽きるのが近かったようで

 

「私の寿命は某年某月某日に尽きると出た、その日に死ぬであろう」こう言い、嘆かわしいと妻に愚痴をこぼしました。

 

すると、今度は妻が嘆き悲しみます、何しろ夫の占いは外れた事がないのです。おいおい大声で泣いて泣き止む事がありません。「しまった」と思った趙達は、もう一度算木を並べて命運を占います。「おお!喜べお前、さっきは計算違いであった、こっちの長いのが本当だ」こうして、泣いている妻に計算しなおした寿命を見せました。ようやく妻は泣き止みましたが、それは趙達の優しい嘘でした。やはり最初の占い通りに趙達は亡くなってしまったからです。

 

 

孫権は趙達が亡くなったと聞くと、血も涙もなく趙達の本を押収しようと屋敷に突入しますが、家中ひっくり返しても一冊の本も出てきません。怒った孫権は、趙達の娘を拘禁して責め(ただ)しましたが、ついに一冊の著書も手に入りませんでした。

 

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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