そうなの?諸葛亮はいい加減に歴史を覚えていた


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孔明

 

諸葛孔明(しょかつこうめい)と言えば、謹厳実直(きんげんじっちょく)の権化であり、自他ともに厳しい

仕事人間というイメージが先行しているのではないかと思います。

しかし、彼の発言を子細に見ていると、大雑把(おおざっぱ)であやふやな発言があり

実は、割といい加減な所があったように思えるのです。

 

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曹丕の揺さぶりに対し国内に檄を飛ばす孔明

曹丕

 

劉備(りゅうび)が白帝城で没した頃、曹丕(そうひ)は、華歆(かきん)王朗(おうろう)陳羣、(ちんぐん許芝(きょし)

諸葛璋(しょかつしょう)というような重臣の面々に命じ、

孔明に魏に降るように手紙を出させています。

 

当時の孔明は、劉備から蜀の全権を任されているので、

孔明が降るという事は、蜀が降伏するという事でした。

曹丕は、これで孔明が降るとは思っていませんが、

劉備の死につけ込み、蜀を揺さぶるという狙いがありました。

孔明

 

そこで、諸葛亮は国内の引き締めを図る為に、

正議(せいぎ)という文書を国内に配布して徹底抗戦の意志を示します。

しかし、この正議には事実誤認があるのです。


初耳、釜茹でになった項羽?

項羽

 

正議は、以下のような書き出しから始まります。

 

昔、項羽(こうう)の場合は徳義によらないで旗揚げした為、中原におり、

皇帝の権力を持ちながら、結局、釜茹(かまゆ)での刑を受け長く後世の(いまし)めになった

魏は、その手本を(かんが)みないで今、これに続こうとしている。

自分の身は幸いにして免れても、いましめは子孫に現れるだろう。

 

ところが、二、三の老臣がいい加減な指令を受けて

私に手紙を寄こして、降れなどとバカな事を言う。

あたかも無道な王莽(おうもう)の治世を賛美した陳崇(ちんしゅう)張竦(ちょうしょう)のデジャブを見ているようだ

 

このような形で文書は続き、最後には、正しい事をしている王者の軍に

軍勢の多寡は関係ない、一丸になって魏を砕くぞ、ファイト!オー!

というような締めくくりなのですが、問題は項羽が釜茹でになった

というような部分です。

 

史記で項羽は、垓下(がいか)の包囲を切り抜けて、烏江(うこう)まで逃げのびますが

そこで、観念し自殺して果て、その体は恩賞欲しさの漢の兵士に切り刻まれ

胴体は五つに分断されたと言われています。

つまり、項羽が釜茹でになったという記述はないのです。

 

王朗からの手紙「You降っチャイナ」に諸葛亮ガチギレ

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項羽の旗揚げには大義がないのか?

楚

 

もう一つ、気になるのは孔明が項羽の旗揚げには大義がないと書いている事です。

これも疑問符が付く話で、江南で旗揚げした項羽と項梁(こうりょう)は、自ら張楚王を名乗り

人望を失った陳勝(ちんしょう)(てつ)を踏まず、かつて秦に滅ぼされた楚王の子孫である

羊飼いの羋心(びしん)を探し出して義帝としました。

 

楚は、秦の天下統一に最も激しく抵抗した国であり、

この時にバラバラに蜂起していた反秦連合軍は、一本化されたのです。

劉邦

 

漢の高祖、劉邦(りゅうほう)もここで項梁の下に入って将軍になっています。

もし、項羽の旗揚げに大義がないなら、それに呼応した劉邦にも大義がない

そんな帰結になるのではないでしょうか?


孔明、いい加減に歴史を覚えている疑惑

孔明

 

孔明は、一言一句を丸暗記して覚える当時の勉強方法を批判し、

ざーっと書物を読んで内容を大体把握したら、次に進んだと言われています。

 

その分だけ、多読していたとも言えますが、同時にかなり大雑把に

歴史を覚えてしまったのではないでしょうか?

 

史記で項羽は釜茹でが大好きな人物として挙げられます。

彼は、劉邦の家臣の王陵(おうりょう)を味方にしょうとして、王陵の母を捕えて

人質にしようとしますが、王陵の母は息子の足手まといになる事を怖れ自殺

怒った項羽は王陵の母の遺体を釜茹でにしています。

項羽

 

また、捕虜にした劉邦の家臣の周苛(しゅうか)を味方にしようとして罵倒され、

やはり激怒して釜茹でにし、劉邦の父、劉大公を釜茹でにしようとして

劉邦に言い負かされ、未遂に終わっています。

 

諸葛孔明は恐らく、項羽に付きまとう釜茹での文字が頭に残り

項羽もまた、釜茹でになり殺されたと思い込んだのではないでしょうか?

そして、項羽と項梁の挙兵と、その前の陳勝と呉広(ごこう)の時間間隔が

ごっちゃになってしまい、項羽の旗揚げに大義がないと思い込むに

至ったのではないかと思うのです。


  

 

追記

 

「そうなの?諸葛亮はいい加減に歴史を覚えていた」

こちらの記事への読者の方の感想に

 

三国志の時代、史記は低俗と見做され、

班固の漢書が正統とされていたというご意見がありました。

つまり、諸葛亮は史記の記述ではなく漢書を参考にしたのだという

ご意見と考え、間違いがあってはいけないと漢書の高帝紀を確認してみました。

 

しかし項羽は垓下で包囲されて四面楚歌を聞き、数百騎で逃げて楚軍は敗退し

東城で灌嬰(かんえい)に斬られたとあり、項羽が釜茹(かまゆ)でにされた

というような記述はありませんでした。

 

また、もしやと思い、同じく漢書の陳勝項籍列伝(ちんしょうこうせきれつでん)にもあたりましたが、

こちらでは、項羽は顔なじみの呂馬童(りょばどう)に手柄を立てさせてやろうと

自ら首を刎ねて死に、その遺体に漢兵が群がり、体は5つに

分けられてしまったとあるだけで確認出来ませんでした。

 

もし、漢書に項羽は釜茹でにされた記述があるのをご存知の方は

ご連絡をいただければ、訂正致します。

以上、追記でした。

 

三国志ライターkawausoの独り言

三国志ライターkawausoの独り言

 

不思議なのは、孔明は間違って覚えているとしても

正議を読んだ蜀臣は、どうして事実誤認を突っ込まないでスルーしたのか?という事です。

まさか、誰も校閲(こうえつ)しないで世間に文書を出してしまい、

いまさら間違いでしたとは言えない雰囲気になり、

 

「ま、文字が読める人間は少数だし全員で気が付かないフリをしよう」

こんな忖度(そんたく)が広がり、そのままになったのでしょうか?

 

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コメント

  • コメント (2)

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    • 匿名
    • 2020年 4月 23日

    釜茹でにされたってのは酷い目にあったという比喩とかいうことはないですか?

    • Ryu☆Gensoku
    • 2019年 11月 29日

    kawauso様、いつも楽しく拝見しております。諸葛亮の歴史認識に関するご感想の記事ですが、本記事にある諸葛亮の檄文の「項羽に大義がない」と「曹丕に大義がない」のは同じだよね、という見解は至って正当な見方のように思いますよ。両者に共通する点は「傀儡の皇帝を立てて実権を握る、大きな権力を手中に収めた上で傀儡政権を打倒することに成功した」ということになると思います。要は「私利私欲のために帝を立てて利用すれば自勢力を大きくすることはできるけれども、そこに正義はない」という言い分のように思います。檄文の本質から外れているので、項羽が五体を切り刻まれようと釜茹でにされていようとその点はあまり大した論点ではないように思いますよ。


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