膝枕は男のロマン!なんて語り始める人もいるくらい、
彼女にしてほしいことランキングの上位に常に君臨している膝枕。
やわらかい太ももに頭をのせて、髪の毛をなでてもらったりほっぺを触ってもらったり…
耳かきなんてしてもらえたら本当に最高ですよね。
そんな膝枕ですが、三国時代の人々もスキンシップの一環として行っていたようなのです。
しかも、男同志で!
えぇ~、男のゴツゴツした太ももでぇ~?
頭の近くに別の奴のアレがあると思うと癒されそうもない…
なんて思う人も少なくないでしょうが、
今回は三国時代の男同士のドキドキ?膝枕事情に迫ってみたいと思います。
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董昭、蘇則に膝枕を求めるも…
魏には頑固一徹で有名な蘇則という臣がありました。
彼は前漢の武帝の諫臣として名高い汲黯の剛直さに憧れを抱き、
汲黯のような人物になりたいと常々思っていました。
蘇則は地方の太守を歴任していたのですが、ある時そんな彼の姿が曹操の目に留まり、
曹操亡き後には中央に召し出されるまでに出世を遂げます。
しかし、その心は曹操や曹丕ではなく常に献帝すなわち漢王朝にあり、
魏の建国については内心苦々しく思っていたようです。
そんな蘇則でしたが、
中央に召された際には魏の建国に大いに貢献した董昭と共に侍中として働くことになります。
董昭は蘇則と共に過ごしていた際に、何を思ったのかおもむろに蘇則の膝に頭をのせて横になりました。
蘇則の奴、いい太ももしてるな…
と思ったのでしょうか?
しかし、蘇則は董昭の頭を強引に押しのけて
「私の膝はお前のようなおべっかつかいの枕ではないわ!」
とブチギレ。
蘇則は漢王朝を破滅に追いやることに加担した董昭が嫌いだったようですね。
それにしてもこの口ぶりだと、董昭でなければ膝枕OKともとれなくもありません。
蘇則のあまりの怒りっぷりには董昭もびっくりしたことでしょう…。
晋朝になっても男同士で膝枕
魏が滅ぼされて司馬氏による晋朝が立てられた後も男同士での膝枕文化は廃れなかったようです。
『晋書』周顗伝では、
かつて東晋の簡文帝が稀代の忠臣として諸葛亮と共に並称したという王導が周顗に
膝枕してもらっている様子が描かれています。
膝枕をされながら
「この中には何が入っているのかな?」
と周顗の腹を指でツンツンする王導。
「この中には何もありませんが、
あなた方を数百人は入れられますよ。」
と冗談を言う周顗。
何だこの光景は…!
仲睦まじい王導と周顗の姿に何だかあらぬ勘違いをしてしまいそうになりますね。
ちなみにこのエピソードは六朝時代の説話集『世説新語』にも掲載されています。
春秋戦国時代にも男同士で膝枕
実は、『三国志』に描かれている時代の何百年も前から既に男同士の膝枕があったようです。
それは『史記』楚世家に見えます。
春秋戦国時代の楚の霊王は弟たちに裏切られて
飲まず食わずで山の中を彷徨い歩くはめになります。
霊王をかばいだてる者は処刑するとのお触れが出ていたために
ボロ雑巾のようになって彷徨い歩く霊王を誰も助けてはくれませんでした。
しかし、霊王の前に昔馴染みの人物が通りがかります。
霊王はその人物に声をかけ、無我夢中で助けを乞います。
昔馴染みはそれを必死に断ろうとしますが、
霊王は昔馴染みの膝にすがりついてそのまま眠ってしまいます。
そこで昔馴染みは仕方がなくしばらく膝の上で霊王を寝かせ、
土で枕を作ってそこに霊王の頭をずらしてから立ち去ったのでした。
その後目が覚めた霊王は昔馴染みが居なくなっていることに気づき、
結局飢えて体を起こすことができないままに亡くなってしまいます。
少し切ない男同士の膝枕エピソードでした。
基本的には親愛の証?
その他諸々、探してみれば結構出てくる男同士の膝枕エピソードですが、
基本的に膝枕をしてもらうというのは
相手に気を許していることを最大限にアピールするための親愛の証のようなもののようですね。
それにしたって大の男が無防備な姿を同じく大の男に晒しながら横たわっている様子は
想像するだけでシュールです…。
しかし、スキンシップをとることによって
両者の距離がより一層近くなって仕事がはかどったのかもしれません。
chopsticksの独り言
ぜひ皆さんも職場の同僚や学校の友人と男同士膝を枕にして
お腹をツンツンしてみてはいかがでしょうか…?
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