三国志演義の版本は何種類もありまして、最もメジャーなのが毛宗崗本です。毛宗崗本は李卓吾本という版本の分かりづらい部分を分かりやすく書き直したり、変な部分をカットしたりして作られたものです。
8月は蜀の諸葛亮が亡くなった時季なので、秋風五丈原のあたりの記述を毛宗崗本と李卓吾本とで読み比べてみたところ、二つの本でずいぶん雰囲気が異なっていることに気付きました。
この記事の目次
表文が発送されたタイミングが分かりやすい
蜀の丞相・諸葛亮は北伐の前線・五丈原で体調を崩して重態になり、首都・成都にいる皇帝・劉禅に向けて表文(主君宛の文書)を送りました。
その表文が発送されてから、それを受けて勅使が五丈原に派遣され到着するまでの期間が、三国志演義では極端に短くなっています。もしやもっと早くに表文が発送されていたのかな、と疑ってみたのですが、李卓吾本を見ただけではいつ発送されたのか確信が持てませんでした。毛宗崗本では、はっきりと示されています。
孔明《…中略…》昏然而倒、至晩方蘇、便連夜表奏后主。
(孔明《…中略…》昏然として倒れ、晩に至りて方に蘇る。便ち夜を連ねて后主に表奏す)
「便(すなわち)」があるので、昏倒して意識を回復したあとに表文を発送したことが分かります。李卓吾本には「便」がないので、いつ手紙送ったの?もっと前から送っていたんですか? となり、分かりづらいです。毛宗崗本シンセツ、ワカリヤスイデスネ。
毛宗崗本でカットされている重態描写
先ほどの、諸葛亮が倒れて目覚めて表文を送りましたという部分ですが、李卓吾本では「晩に至りて方に蘇る」と「夜を連ねて后主に表奏す」の間に次のような一文が入っています。
是夜昏絶数番(この夜 昏絶すること数番)
毛宗崗本では倒れて起きただけですが、李卓吾本では起きたあとも夜間に何度か意識不明になっているんですね。一回倒れただけなら脳貧血かなという程度ですが、何度もとなるとずいぶん重篤な感じがします。毛宗崗本はこの重態描写をカットしていますが、なぜなんでしょうね。そんな重態な人が表文を書く元気があるなんておかしいじゃん、という毛宗崗本流のリアリティの追求でしょうか。
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【北伐の真実に迫る】
意識を失うまでの時間の違い
他にも、李卓吾本のほうが重態に見える箇所があります。諸葛亮は天文を見て自らの寿命が残りわずかだと知り延命祈祷を行いますが、
敵襲を知らせに来た魏延の歩く勢いで祈祷の灯明が消えてしまい、祈祷は失敗に終わります。このあと、諸葛亮は大量に吐血して身体を横たえながら魏延に敵の撃退を命じます。
李卓吾本では、魏延が敵を撃退にでかけた後、その場に残って横になったままの諸葛亮がすぐに姜維と楊儀に自分の亡き後のことについて指示を出したような書き方がしてあり、指示を出し終え人事不省になったとあります。毛宗崗本では、魏延が出かけたあと、次のような一文が入り場面転換されています。
姜維入帳、直至孔明榻前問安。
(姜維帳に入り、直に孔明の榻前に至り安を問う)
姜維は祈祷が失敗したとき諸葛亮と一緒にいたのですが、この文章で姜維は外から諸葛亮の帳の中に入ってきてお見舞いしています。つまり、魏延が敵を撃退しにでかけてからある程度の時間が経過しているということです。姜維は外で何か用事を済ませてからまた諸葛亮のところに戻ってきたのでしょう。
このあと、諸葛亮が姜維らに自分の亡き後のことについて指示を出し意識を失うのは同じですが、吐血してまもなく失神した李卓吾本のほうが容態がせっぱつまっているように見えます。
横になっていたか座っていたかの違い
李卓吾本と毛宗崗本では意識の失い方も違います。李卓吾本で「人事不醒」となっている箇所が、毛宗崗本では「便昏然而倒(すなわち昏然として倒る)」となっています。目がくらんで倒れたんですね。倒れたということは、立つか座るかしていたのでしょう。
まとめると、李卓吾本では吐血して横になったまますぐに姜維らに指示を与えて意識を失ったことになっていますが、毛宗崗本では吐血してからしばらく時間が経過して、立つか座るかしている時に目がくらんで失神したようです。李卓吾本だと起き上がることもできず長く意識を保っていることも難しい重篤な状態に見えますが、毛宗崗本は横になっていれば平気だけど起き上がったから脳貧血を起こしたのかな? という感じです。
このあと目を覚ました諸葛亮が表文を発送するわけですが、李卓吾本のほうにだけ「この夜 昏絶すること数番」の一文があります。一回脳貧血をおこした以外はまあまあ元気そうな毛宗崗本と、横になっていても何度も意識を失う李卓吾本では、状態は全く違っています。
延命祈祷の場面から削られた四文字
延命祈祷の場面も、ずいぶん印象が違います。祈祷は7日にわたって行われるもので、諸葛亮は夜は祈祷を行い、昼は軍務をとり、吐血が止まなかったと書かれています。このあと、李卓吾本には「醒而復昏(醒めて復た昏(くら)む)」とあります。
病気なのに昼も夜も寝ないで吐血をしながら軍務をとり、しばしば昏倒しては起きてまた続きをやるという李卓吾本の描写は、あまりにも哀切きわまるというか壮絶というか、もうやめてー!って感じですが、毛宗崗本は「醒而復昏」の四文字を削っています。
これだと、祈祷をしながら日常業務をしていたけどずっと吐血が続いていたよ、という状況の説明っぽい感じで、李卓吾本よりずいぶんマイルドです。
三国志ライター よかミカンの独り言
毛宗崗本の編集を見ると、文脈が分かりやすくなっているだけでなく、描写がずいぶんマイルドになっていることに気付きました。
諸葛亮の状態をひどく書くととても可哀相な感じになってしまうので、「楽しみて淫せず、哀しみて傷らず(『論語』)」という匙加減を狙ったのでしょうか。
吉川英治さんの小説『三国志』は李卓吾本の系統の三国志物語を参照しながら書かれたもので、秋風五丈原の項はとても哀切きわまる書き方をされており、日本人の三国志の心象風景の原点はこちらかなという気がいたしますが、いかがでしょうか。毛宗崗本のマイルド描写と李卓吾本の壮絶描写、皆様はどちらがお好きですか。
※三国志演義のテキストは下記を参照しました。
毛宗崗本:『三国志演義』羅貫中 著 毛綸 毛宗崗 評改 山東文芸出版社 1991年12月
李卓吾本:『三国演義(新校新注本)』羅貫中 著 瀋伯俊 李燁 校注 巴蜀書社出版 1993年11月
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