龐徳は曹操のみならず子孫代々称えられた忠臣だった


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龐徳

 

馬騰(ばとう)軍一の勇将として知られていた龐徳(ほうとく)

曹操(そうそう)に仕えることになってもその強さは変わらず、活躍していました。

そんな龐徳ですが、曹操や息子、孫の代まで讃えられていた重臣だった事をみなさんはご存知ですか。

 

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勇将・龐徳死す

勇将・龐徳死す

 

龐徳は曹操に降伏すると荊州で反乱を起こした太守を軽々と制圧。

その後龐徳は曹仁(そうじん)と共に樊城へ入り、関羽(かんう)軍に備えていました。

龐徳は関羽が樊城へ攻撃を仕掛けてくると曹仁の命令で出陣し、関羽軍と激闘を繰り広げます。

龐徳は関羽軍との激闘で彼の額に弓矢を直撃させるほどの活躍を見せます。

 

その後龐徳は関羽軍と激しい戦いを繰り広げていきますが、樊城周辺に大雨が降り平地が水没。

関羽は船を用いて一方的に龐徳の陣へ攻撃を仕掛けていきます。

しかし龐徳は関羽軍の攻撃に屈することなく迎撃を行いますが、

関羽軍の攻撃の雨に兵士達が次々と降伏してしまい、

関羽軍の攻撃に抵抗できなくなってしまいます。

 

そのため、龐徳は陣営を抜け出して樊城へ帰還しようと試みますが、

関羽軍の船に見つかってしまい捕縛されてしまいます。

関羽は捕縛した龐徳を連れてくると降伏するように促します。

だが龐徳は関羽の降伏の言葉に従わなかった為、殺されてしまうのでした

 


 

龐徳の死を聞いて悲しむ曹操

龐徳の死を聞いて悲しむ曹操

 

曹操は龐徳が亡くなった事を聞くと涙を流して悲み、

彼の子供へ侯の位を挙げて龐徳の戦いに報いるのでした。

 

また曹操は樊城攻防戦の時、

曹仁らを救うために軍勢を率いていいた于禁(うきん)は関羽軍に降伏した事を知り

于禁は30年以上共に戦ってきていたのだが、

新参者の龐徳の忠誠心に勝つことができないとは思いもよらなかった。

と周りに愚痴(ぐち)ったそうです。

 

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曹丕の代でも讃えられる龐徳

曹丕の代でも讃えられる龐徳

 

龐徳は死後曹操によって讃えられます。

しかし曹操の死後、曹丕(そうひ)の代になっても龐徳は讃えられていました。

曹丕は

「龐徳は剛勇果敢な戦いぶりを見せ、

危機的状況な時でも道義に(もと)ることなく最後を全うした彼の姿は素晴らしい。

よって龐徳を壮侯と(おくりな)をつけよう」

と言って龐徳を讃えるのでした。

 

またこの時曹丕は龐徳の四人の息子達へ関内侯の爵位を与えて龐徳に感謝の意を捧げるのでした。

さて曹操・曹丕二代の君主に讃えられた龐徳ですが、

彼の名前は数十年後に再び讃えられることになるのです。


 

龐徳死後25年後に再び讃えられる

曹芳

 

龐徳が亡くなって25年が経った魏。

この時の魏の皇帝は曹芳(そうほう)と呼ばれる人物でした。

彼は魏の忠臣や功績のある人物達を曹操のお墓の前に祀りたいと考え

誰を曹操のお墓の前に祀るか考えていました。

 

その後曹芳は曹操のお墓の前にある庭へ魏の忠臣・功臣達を祀ります。

この曹操のお墓の前にある庭に祀られた功臣達は20人ほどで張遼(ちょうりょう)楽進(がくしん)

張郃(ちょうこう)徐晃(じょこう)夏侯淵(かこうえん)などそうそうたるメンバーが集合していました。

 

その中に龐徳も加わり、曹操のお墓の前にある庭で祀られるのでした。

曹操死後25年が経過した魏国でも龐徳の名前は讃えられているのでした


  

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

龐徳は魏の国にとってとっても重要な臣下でした。

その理由は曹操や曹丕が龐徳の死後、

彼に報いている点や25年後の魏においても龐徳の名前は忘れられることなく

讃えられていることからもお分かりだと思います。

 

また曹芳が曹操の墓前の庭に祀った功臣の中には曹操挙兵時から付き従っていた夏侯惇(かこうとん)

曹魏の中でも一二を争う勇将・曹仁達よりも龐徳を優先して祀ってあることからも

彼がどれだけ曹魏にとって大切な臣下であったのかお分かりなると思います。

これだけ大切に扱われている龐徳が亡くなれば、

曹操が涙を流して悲しんだ気持ちもちょこっと分かるような気がしませんか。

【参考文献】 正史三国志魏書など

 

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