石亭の戦いは曹休を罠にはめる呉の壮大なドッキリだった!


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石亭の戦いで交える曹休と周魴(しゅうほう)

※こちらの記事は「大戦乱!!三国志バトル」専用オリジナルコンテンツです。

 

敵を(だま)すにはまず味方からと言いますが、上手にターゲットを騙すには、いかに、もっともらしく見せて信用させるかというテクニックが欠かせません。

ましてや、普段敵対していて最初からこちらを疑っている相手を騙すには並大抵のテクニックでは不可能です。

その点で西暦228年の8月に魏と呉の間で起きた石亭(せきてい)の戦いは呉の周魴(しゅうほう)の完璧な演技に魏の曹休(そうきゅう)が引っ掛かった壮大で完璧なドッキリでした。

今回は石亭の戦いを通して、最後の最期まで曹休を騙しつくした周魴の緻密(ちみつ)な演技力を紹介します。

 

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魏の名将、曹休に翻弄される呉

石亭の戦い 曹休と韓当

 

石亭の戦い以前、魏と呉が国境を接する揚州では揚州牧兼都督軍事(ようしゅうぼくけんととくぐんじ)に任命された曹休が呉の呂範(りょはん)を破るなど攻勢に出て呉は窮地に陥ります。

その為に呉からは、功臣、韓当(かんとう)の息子の韓綜(かんそう)が魏に投降するような事態になっていました。

こんな事があったので呉では曹休を憎み恐れていて放置できないと考えます。

しかし、真正面から攻めても勝てないのでドッキリを仕掛けようと決めたのでした。

 


 

周魴が仕掛け人に名乗りをあげる

石亭の戦い 周魴(しゅうほう)

 

曹休を引っ掛ける仕掛け人には、周魴が選ばれました。

ドッキリの内容は簡単明瞭で、鄱陽(はんよう)郡の太守だった周魴が孫権(そんけん)のパワハラに耐えかね鄱陽郡ごと魏に寝返るという筋立てで、

それに食いついた曹休が軍を送れば、伏兵を配置した場所に誘い込み一挙に撃破しようというのです。

さて、作戦内容は簡単ですが、問題はいかに曹休に内応を信じさせるかでした。

 

孫権は当初、山賊の頭目を使って釣ろうと思いましたが、鄱陽太守の周魴が「曹休は英傑で、山賊の頭目程度では成功は難しい」と発言し

自身が仕掛け人になる事を提案しました。

孫権にしても、郡太守が寝返る方が魏にもメリットがあり曹休も信じやすいだろうと考え周魴に仕掛け人を任せたのです。


 

偽の降伏の手紙七通

石亭の戦いで曹休が反応してドキッとする周魴(しゅうほう)

 

周魴は内応する意志がある旨を記した偽手紙を曹休に送りました。

それも一通や二通ではなく、七通にも及びました。

しかも、その手紙は一本調子に何度も「お願いします」と哀願するのではなく、(なだ)めたりすかしたり、非難したり絶望したり強気になったり

バラエティ豊かでした。

 

例えば、

 

①「呉は大規模の出兵を行い揚州にはろくな備えがない」と出兵を誘う

②「あなたは天の与えたチャンスを捨ててしまうのか」と非難してみる

③「私はパワハラ孫権に(うと)まれいつ殺されるか分からない」と愚痴(ぐち)を書く

④「返事がないのは私を救っていただけない意味ですか?」と気弱になる

⑤「部下を信用させる為に官位を保障する印綬(いんじゅ)を沢山下さい」と強気に出る

⑥家人を人質として送り計略ではないと信用させる

⑦かつて魏に内応しようとして失敗した人物との繋がりを強調する

 

等々、内応を約束したものの揺れ動く乙女心(?)を巧みに表現します。

山の天気のように変わる周魴のトキメキラブレターに曹休は知らず知らずに心を奪われ、

「これは本当なんじゃね?」と思い始めました。


  

 

 

役所で侮辱され髪を切られる迫真の演技で曹休の心をゲット

石亭の戦い 曹休、周魴、孫権

 

周魴は慎重で用心深い人物でした。

手紙を出した以上、魏のスパイが確認の為に鄱陽に入り込んだに違いないと判断し、より具体的に孫権のパワハラに(いじ)められる自身を演出します。

 

ある日、周魴は孫権の詔で役所まで来るように言われます。

何だろうとノコノコ役所まで出かけてみると、そこに待っていたのは、最高にネチネチした孫権の問責(もんせき)でした。

このパワハラにより周魴は侮辱(ぶじょく)された上に罪を謝する意味で髪の毛を剃ります。

涙ながらに謝罪する周魴の様子は、魏のスパイによって曹休に伝えられました。

「間違いない周魴は降伏するぞ!」曹休はこうして完全に周魴を信じてしまいました。

 

読者の皆さんは「髪を切る位大した事ない」と思うでしょうが、当時の人々にとって、親からもらった頭髪に刃物を入れるのは親不孝の極みでした。

刑罰にさえ髪を剃り落とすコン刑というものがあった程だったのです。

かくして手紙で曹休を翻弄し、我が身を苦しめる演技で信頼させるという周魴のドッキリ大作戦は完全に成功しました。

 

周魴に裏切られ十万の曹休軍は石亭で惨敗する

計画通りになった周魴(しゅうほう)

 

曹休は内応を承諾する手紙を周魴に送ります。

周魴はこの手紙を孫権に送りドッキリ大成功を報告しました。

孫権は大喜び、陸遜(りくそん)全琮(ぜんそう)朱桓(しゅかん)を率いさせて自ら出陣、皖城(かんじょう)の近くで待ち伏せさせます。

一方、周魴を信用した曹休は投降した周魴に道案内させ十万の大軍で石亭に向かい進撃しました。

しかし石亭に近い場所まで進軍した所で近くの皖城に孫権が出陣している事を知らされたのです。

 

「おのれ、、謀ったな!周魴」

 

ここで曹休はようやく自分がドッキリに掛かった事を悟ります。

もちろん、周魴はとっくに消えており、すでに孫権に魏軍の陣営の様子と間抜けな曹休の悪口をべらべら喋っている事が予測できました。

ですが、プライドが高い曹休、騙されたままで魏に帰る事はできません。

 

曹休「だ、騙されてなんかないんだからね!最初からドッキリに乗った振りして、孫権を討ち取る逆ドッキリなんだからね!」

 

気持ちは分かるが、それは無理があるぞ、やめろ曹休ーー!

 

こうして、全てバレているのに強引に孫権に戦いを仕掛けた曹休は大惨敗、一万人が戦死する大損害を受け、曹休もあわや討ち死にという所を

賈逵(かき)の援軍でなんとか救われるという有様でした。

 

命からがら逃げのびた曹休は、これまでの戦功と皇族という地位のお陰で、厳しい罰を受ける事もなく、また慰問(いもん)の為に曹叡(そうえい)から

多額の贈物さえ受けますが、世の中難しいものでプライドが高い曹休は、それを憐れみと受け止めてしまい思い(わずら)うようになり、

背中に腫瘍(しゅよう)が出来たのが元で間もなく死んでしまいました。

 

どうして周魴は曹休を騙せたのか?

石亭の戦い 曹休、周魴

 

それにしても、いかにも怪しい周魴の寝返りをどうして曹休は信じたのでしょう?

 

 

 

 

石亭の戦いは曹休を罠にはめる呉の壮大なドッキリだった!

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