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韓綜ってどんな人?孫権がブチギレた韓当の放蕩息子の生涯

2019年3月17日


 

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劉禅

 

パパは真面目で素晴らしい人なのに、その血を引いているはずの息子はどうしようもなくアッパラパー…。こんな親子、意外と多いのではないでしょうか?ほら、テレビで見かけるあの人とかあの人とか…。

 

呉志(呉書)_書類

 

名前こそ出しませんがきっと皆さんも大体同じ人を思い浮かべていることでしょう。実は、三国時代にもパパは素晴らしいのに息子はどうしようもない奴だったという親子がおりました。それは、呉の韓当(かんとう)韓綜(かん そう)父子です。今回はこの親子について皆さんにご紹介したいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫堅の代から3代にわたって呉に仕えた韓当

韓当(かんとう)

 

韓当は呉の臣の中でも古参も古参。孫堅の代から呉に仕えていた名臣です。孫堅(そんけん)が亡くなってからは孫策(そんさく)に仕え、孫策が亡くなれば孫権(そんけん)に仕えてきた呉にとって大切な忠臣ということで孫権からも一目置かれていました。

 

呉蜀赤壁の戦い

 

赤壁の戦いでも周瑜(しゅうゆ)と共に曹操(そうそう)軍を迎撃し、一兵卒と勘違いされて便所に寝かされ寒さに震えていた黄蓋(こうがい)を助けたという珍エピソードの持ち主でもあります。

 

陸遜

 

また、夷陵の戦い(いりょうのたたかい)にも参戦し、陸遜(りくそん)らと共に劉備(りゅうび)軍を撃ち破ったという華々しいエピソードも。法を遵守し、孫権の言葉にも忠実に従い、兵卒を率いることにも優れていた韓当はまさに隠れた名将と言える存在だったのです。

 

 

 

息子の韓綜が韓当の後を継いだものの…

韓綜

 

ところが、韓当も病には勝てず、丹陽郡の賊を討伐した後に亡くなってしまいます。その韓当の後を継いで爵位を継承したのが息子の韓綜でした。しかし、この韓綜という男はとんでもない放蕩息子で、韓当とは正反対に法を遵守しようという気持ちの薄い人物でした。

 

そのため、普段から素行不良が目立つという困ったちゃんだったのです。そんな人物ですから、戦場でもヘラヘラしており、石陽の戦いではついに法に触れるようなとんでもない振る舞いをしてしまいます。

 

後継者争いで悩む孫権

 

一軍の将たるもの、兵たちの命を預かっているからには自らの行動を自律しなければなりません。それなのに、軽々しく法を侵してしまった韓綜に孫権も眉を顰めてしまいます。

 

海上での戦いの孫権

 

それを聞いた韓綜も流石にヤバイと焦り始めました。ところが、孫権は韓綜の父・韓当のことを思い出し、「韓綜のやったことはアレだけれど、韓当の功績に免じて今回だけは許してやろう」と温情ある決断を下します。しかし、そんなことなどつゆ知らず、ひたすら自分の身が心配だった韓綜はとんでもないことをしでかしてしまうのでした…。

 

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韓綜の名を聞くたびに孫権ブチギレ!

呉の孫権 

 

「このままここにいては孫権からキツイおしおきを食らってしまう…!」

 

孫権からのおしおきを過度に恐れた韓綜は、一族郎党、そして父・韓当の棺を引き連れて

なんと魏に投降してしまったのです!

 

これにはあの世の父・韓当も「俺だけでいいから呉に帰してくれ!」と叫びたかったに違いありません。

 

しかし、そんな父・韓当の気持ちなんて二の次、三の次、下手したらどうでもよかった韓綜は、親の七光りで魏の将軍となったのでした。

 

呉の孫権

 

魏の将軍となった韓綜は孫権への逆恨みからか度々呉の国境付近に侵入して暴れまわり、その報告を受けた孫権は韓綜の名を聞くたびにブチギレ!孫権の怒り狂いようは凄まじかったと言います。

 

しかし、そのような放蕩息子・韓綜が好き放題ヒャッハーできるわけもありません。孫権の死後、呉と魏との間で東興の戦いが勃発。

 

「ムカつく呉なんてぶっ壊してやるぜ!」と勇んで従軍した韓綜でしたが、諸葛恪(しょかつかく)に破られ打ち首にされてしまいます。

 

そして韓綜の首は孫権の廟に供えられたそうな。

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

父の威光を笠に着て好き放題ふるまった挙句父が長年仕えてきた呉を捨てて呉を逆恨みし続けたとんでもない息子・韓綜。きっとあの世で韓当に死ぬほど説教されたことでしょう。

 

しかし、親子というものは似る人もいれば全く似ない人もいて本当に不思議ですよね。皆さんは自分の親と似ているでしょうか。それとも韓当・韓綜親子のように正反対の性質を持っているでしょうか。比べてみると面白いかもしれませんね。

 

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呉の武将

 

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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