劉備は蜀(221年~263年)の初代皇帝です。先主または、昭烈皇帝と呼ばれることもありますが、劉備が有名なので、この記事では劉備で通します。
ところで、劉備は髭が生えてないという奇妙な話があります。
「ネタが無いからといって、嘘を書くのはやめろ!」
確かにネタが見つからないので、いつも泣きたいですけど、嘘ではありません。どうも本当のようです。今回は劉備の髭無し疑惑とそれにまつわる人殺しの話を紹介します。
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有名な髭無し劉備 横山光輝『三国志』の劉備
まず、有名な髭無し劉備を紹介しておきます。それは横山光輝『三国志』の劉備です。
これはマンガですので、想像はいくらでも出来ます。ましてや、日本人向けに作ったものなので髭無し劉備がいても仕方ないです。このマンガの中で劉備の髭無し期間は初登場時である中平元年(184年)から建安5年(200年)までです。劉備は24歳から40歳まで髭無しです。昔の人でさすがに、それは無いと思います。
曹操にいたっては10代から46歳まで髭無しです。さすがに建安12年(207年)からは生えていました。
実際の劉備は髭が生えていない
さて、マンガの話はこれぐらいにして史実に行きます。建安17年(212年)に劉備は益州の豪族の張松により、益州に招かれました。
張松は主人の劉璋に器量無しと見たので、劉備に代わりに主人になってもらいたかったのです。
また、劉璋も漢中を治めている五斗米道の指導者の張魯と対立していたので、劉備に助けを求めました。劉璋は劉備を歓迎する宴会しました。この時に、劉璋の傍に仕えていたのが張裕という人物です。張裕は立派な髭を生やしていました。どれくらいの髭なのか分かりません。
関羽レベルかもしれませんし、サンタクロースぐらいあったかもしれません。劉備は酒の勢いだったのか、張裕の髭をからかいました。劉備からすればギャグですませるつもりでした。ところが、張裕は劉備が髭が無いことを目の前でマジレスしました。この時に劉備が思ったことは、たった1つでした。
(こいつ、いつかマジで殺す・・・・・・)
とりあえず、理由はなんでもよい劉備の腹の中
章武元年(221年)に劉備は皇帝に即位しました。この時点で張裕は劉璋から劉備の部下になっていました。劉備は皇帝に即位すると、張裕を処刑することに決めました。
実は張裕は以前、建安24年(219年)の漢中での曹操との戦は、敗北すると予言していたのです。しかし、見事に予言は外れて劉備は勝利しました。劉備はそこを徹底的に追及しました。
諸葛亮は張裕の処刑に反対しました。だが、劉備は諸葛亮の意見でも従いませんでした。結局、張裕は劉備の即位に反対した雍茂と一緒に処刑されました。
三国志ライター 晃の独り言
今回は劉備の髭とちょっとした発言により、殺された張裕について解説しました。実は彼の予言は、ほとんど当たっているのです。張裕は若い時に自分の死を予言していました。ある日、自分の死について考えて鏡を見たところ〝死刑〟と結果が出たので鏡を割ったという話があります。
ちなみに、張裕は鄧芝の出世も予言していました。鄧芝は夷陵の戦で関係が危うい状態になった蜀と呉(222年~280年)の関係を見事に修復した人物です。
張裕は鄧芝に「あなたは大将軍になる」と予言しました。その予言は見事に的中して、延熙6年(243年)に鄧芝は車騎将軍(大将軍)になったのでした。もちろん、これらの話を信じるか信じないかはあなた次第です。
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