【馬超の妻の死から読み取る】馬超の再起を分かりやすく解説

2019年4月2日


 

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五虎大将軍の馬超

 

馬超(ばちょう)(しょく)(221年~263年)の武将です。蜀に仕えていた期間は非常に短く、活躍期間も後漢(ごかん)(25年~220年)の時期なので、正確には後漢末期の武将が正しいと思います。実は馬超は妻がいたようです。当たり前かもしれませんけど、筆者は馬超に関しては子も妻もいるという感じがしないのです。そこで今回は馬超の妻に関して解説致します。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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馬超の反乱

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

建安16年(211年)に曹操(そうそう)は征西を行う決意をします。表向きは五斗米道(ごとべいどう
)
張魯(ちょうろ)の討伐ですが、これを口実に西方に割拠している軍閥を始末する気でいました。

 

 

出世した韓遂

 

 

危険を感じた馬超は韓遂(かんすい)や他の将軍と一緒に反乱を起こしました。一方、曹操も出陣しました。

 

 

馬超 vs 許褚

 

馬超は曹操を捕縛するつもりでしたが、曹操の周囲を許褚(きょちょ)が護衛していたので近づけません。『三国志演義(さんごくしえんぎ)』では馬超と許褚の一騎打ちが行われるのですが、これは創作です。この戦で馬超は曹操を追い詰めますが、許褚の奮戦により阻まれます。しかし、曹操も長期戦は出来ません。そこで曹操は参謀の賈詡(かく)の策を取り入れました。

 

 

馬騰

 

 

その結果、馬超と韓遂は仲違いを起こして曹操に敗北しました。馬超の父の馬騰(ばとう)と一族は、馬超が反乱を起こした責任を追及されて処刑されました。

 

 

 



冀城の戦いと馬超

馬超の仲間入り

 

父と一族を殺された馬超は再起を図りました。馬超の再起には五斗米道の張魯も協力していました。建安18年(213年)に、馬超は涼州刺史の韋康(いこう)を攻撃しました。韋康は馬超の攻撃に耐えきれずに降伏しました。

 

 

魏の夏侯淵

 

 

また、援軍の夏侯淵(かこうえん)も馬超に撃退されました。窮地に立たされた韋康は民の命を守るために降伏したのです。ところが、馬超は容赦なく韋康を処刑しました。

 

袁術祭り

 

 

女傑 王異の策

 

韋康を殺されて黙っていなかったのは、部下の趙昂(ちょうこう)でした。そこで妻の王異(おうい)と策を練りました。趙昂の妻の王異は甲冑を付けて戦うほどの女傑でした。王異は馬超の妻の(よう)氏に接近しました。

 

楊氏の年齢は分かりませんが王異と年齢は変わらなかったと思います。『三国志』では王異は楊氏に接近する時に、昔のたとえ話を出して楊氏の関心を買います。でも、筆者は女同士だから妻ならではの苦労話をしたと思いますよ・・・・・・楊氏は王異とすっかり親しくなりました。一方、馬超も趙昂を信用しました。趙昂は仲間の楊阜(ようふ)と連絡をとり、馬超に反撃する機会をうかがいました。

 

 

馬超の妻の死

張コウ 張郃

 

ある日、楊阜が外から攻撃をしてきたので馬超が迎え撃ちました。趙昂は馬超が留守になった隙に、馬超の兵士や妻の楊氏に一斉に襲い掛かりました。馬超が気付いた時は、すでに遅く、みんな殺されていました。ちょうどその時に、曹操から派遣された張郃(ちょうこう)の援軍が来て馬超は敗北しました。馬超は命からがら漢中の張魯のもとに逃げました。

 

 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

こうして馬超は敗北しただけではなく、大切な妻を失いました。馬超のもとにいるのは、従弟の馬岱(ばたい)と子の馬承(ばしょう)と娘が1人だけです。なお、漢中に逃げたあとに馬超の境遇に同情した張魯が、自分の娘を嫁がせようとしました。しかし、ある人物が次のようなことを言いました。

 

「あんな風に身内の者を愛さない人間が、どうして他人を愛することができるのですか?」

それを聞いた張魯はさすがに思いとどまったという話でした。

 

※参考

・林田慎之介『豪勇の咆哮 (人間三国志)』(初出1989年 のち集英社文庫 1992年)

・高島俊夫『三国志 「人物縦横断」』(初出1994年 のち三国志 きらめく群像 (ちくま文庫)』 2000年に改題)

・渡邉義浩『三国志 (図解雑学)』(ナツメ社 2000年)

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
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