【魏皇帝】曹丕は有能なのに「イマイチ」だと扱い始めたのは誰?


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孔明による出師の表

 

三国志(さんごくし)の登場人物の書いた文章の中には、現代にも残っているものがいくつかあります。

 

諸葛孔明(しょかつこうめい)の『出師の表(すいしのひょう
)
』がダントツで有名ですが、曹操(そうそう)曹植(そうしょく)が残した詩も忘れがたい。

そして曹丕の書いた『典論(てんろん)』も忘れてはいけません。

 

典論を掘る曹丕

 

典論は現代でいえば「文章論」です。

・・・ということまでは知っていたのですが、私も最近になるまで、中身を読んだことはありませんでした。

 

後継者争いをしている曹丕と曹植

 

ところがこれを電子書籍で取り寄せて読んでみると、めちゃくちゃ面白かった。

現在残っているのは、全体の中のごく一部なので、これだけで曹丕の「文章論」の全体を追えるわけではないのですが、読んでみた内容としては、文章の技巧の話というよりも、「ライターたるものの心得」を扱ったものでした。

 

これがなかなか面白いので、ふと気になってきたこと。

 

皇帝に就任した曹丕

 

曹丕って、「曹操の子」ということで割りを食っていますが、

実はめちゃくちゃ多彩で、皇帝(こうてい)としてもなかなか有能な人材だったのではないでしょうか?

 

自称・皇帝
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陳寿のなんとも多義的な曹丕評を深読みしてみる

曹丕

 

そう思って文献を紐解いてみると、そもそも『正史(せいし)』における曹丕評からして、なんだか歯切れが悪い気がしてくる。

 

陳寿(晋)

 

正史の著者、陳寿(ちんじゅ)は、こう書いています。

 

文帝(ぶんてい)(曹丕)は生まれつき文学的才能があり、博識(はくしき)で、多芸多才な人であった。あとは広い度量と誠実さがあれば、古代の賢王たちに連なる存在になることも可能だったろう」

 

 

私は陳舜臣(ちんしゅんしん
)
さんの本『曹操残夢』の中で、この曹丕評に肯定的に触れている箇所を読み、「つまり曹丕というのは、中国史上に残る名君にまで、あと一歩の人(=かなり有能な皇帝)だったのか」と単純に思っていたのですが、最近、この陳寿の評は、一種の逆説表現であって、「多芸多才だが度量と誠実さがないってことは、君主としてはダメだったといいたいのだ」という解釈も多くあることを知って、驚いた次第です。

 

(ちなみに私の感想では、陳舜臣さんの曹丕への評価は、かなり高いようですね)

 


 

曹丕は何をやった人かみんなで思い出そう!

魏の皇帝になった曹丕

 

やはり人物評というものは自分でやるしかない、これが基本ですね。というわけで曹丕の事績を並べてみましょう!

 

王位継承をスムーズに進めた

曹丕に喧嘩を売る曹植と楊脩

 

弟の曹植を担ぐ一派との後継者争いが激しかったはずなのですが、実際に曹操が亡くなった前後の混乱は最小限でした。取り巻きがうまくやったという見方もできますが、いい人材を側近にしていた、ともいえます。

 

粛清をスムーズに進めた

部下をいじめる曹丕

 

曹植派についていた側近たちを電撃的に片づけ、曹植もてきぱき追い払い、新体制の憂いをなくしています。ちょっとイヤな話ではありますが、古代の政治家には必須の能力であることには違いありません。これで「兄弟での相続争うはオシマイ!」と幕引きしたとみれば、それほど禍根を残さずにさっぱりと処分したともいえる。


 

側近の世代交代もスムーズだった

陳羣と曹丕

 

陳羣(ちんぐん)満寵(まんちょう)ら優秀な側近を取り立てて、政権の一新を進めました。

 

司馬懿と曹丕

 

その後の歴史の展開を思い出すと、司馬懿(しばい)を重用したのは正しかったのか判断が難しいですが、曹丕自身が存命中の間は、司馬懿もちゃんとコントロールできていた模様。

 

これがいちばん大きい! 魏の初代皇帝となったのは曹丕!

曹丕

 

魏を正式な「王朝」としてスタートさせたのは曹丕とその側近たちの仕事。曹操の肩書は、あくまでも漢王朝のラストエンペラーを支えていた「魏王」で、曹操自身はけっきょく皇帝を名乗ってはいません。

 

曹操と曹丕

 

父親の曹操がほとんどやるべき仕事を済ませていたので、あとはその筋書き通りに進むだけの段階だった、という見方もできますが、不測の事態や内輪もめのリスクもあった「漢王朝廃止」という大事業を、粛々と終えたのが曹丕政権だったことは事実。

 

と、並べてみた感想としては、「なんだか得体のしれない人」という印象です。

本人の能力がどれだけだったのかはナゾのままですが、有能な人材をうまく使っていたことは確か。

そしてその政権の安定ぶりを見ると、たしかに曹丕、中国史上でもかなり有能なほうの「皇帝」の一人だと、言ってもいいのではないでしょうか?

 

リアリズムと悪の教科書
君主論


  

 

文章論として現代にも十分通じる!曹丕の『典論』

孟達に恋文を送る曹丕

 

曹丕本人の才能が最も発揮されていたのは、文章の世界の様子。というわけで、いよいよ、彼の著作『典論』を紐解いてみましょう。

 

内容としてはざっと、以下の通り。

 

・「あいつの文章はここが悪い、ここがやりすぎだ」などという巧拙にこだわっている昨今の批評はよろしくない

・もっと文章というものを崇高なものとしてとらえ、みんなで文章力を高めなくちゃいけない

・そう、社会の統治にいちばん大事なものは、文章力なのだ!

・というのも、人間の寿命には限界があるが、文章は朽ちることなく時代を超えて永遠に遺るからだ!

 

なるほど確かに、『三国志』の物語そのものが、陳寿や羅漢中の寿命をはるかに超えて、今日まで生き残っていることを見れば、この論理には納得できるのではないでしょうか?。

 

ん?!

ということは、この「はじめての三国志」も、僕らの寿命を超えて遺るかもしれないってこと?!

 

おお、そうなるように、ますます「はじめての三国志」が盛り上がるよう、がんばらねば!!

 

 

三国志ライターYASHIROの独り言:曹丕の評価が歯切れ悪い理由

三国志ライター YASHIRO

 

それにしても、事績を見るかぎり、二代目としては合格点どころか、むしろなかなか有能だったとも解釈できる曹丕がどうして、あちこちで「イマイチ」扱いなのか?

 

「お父上の存在が凄すぎるから」ということになってしまいそうですが。個人的には、もうひとつ推測していることがあります。

 

つまり後世の三国志物語のベースとなっている『正史』が晋時代に書かれたものであり、

なんだかんだ司馬一族に気を使って書かれている本なので、

曹操以外の曹一族はなるべくポンコツでないと帝位を奪った側として都合が悪いわけで・・・

 

・・・ン?

・・・なんだ? 書斎の窓が開いた。

・・・だ、だれだお前はー!

・・・だれが差し向けた刺客だー!

・・・やめろー!なにも悪いことは書いていないぞー!

・・・・・・・・・ギャーーーッッ!!

 

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