これは必ずしも万人の賛同を得られるわけではない話かもしれませんが・・・。
修学旅行や林間学校で、夜にホテルで学友たちと寝ている時に出る会話って、めちゃくちゃ楽しくないですか?
友達の、普段とは違う顔が見られる、というだけではなく、そういう時に出てくる会話には、思わぬ本音や、意外な想いが込められていたりして、スナオに感動的だったりします。
私にも、忘れられない思い出があります。旅館の部屋にグループで泊まっていた時のこと。
ふと夜中に布団の中で目を覚ますと、学友たちのうちの何人かが、まだしつこく起きていて、部屋の隅っこに集まって、小声で話をしている。
耳を澄ませると、どうやら、クラスメートの寸評をしているらしい。
「〇〇って、こういう奴だよな」
「〇〇には、こういうところがあるよな」
などなど。いい評価を受けている人もいれば、悪い評価を受けている人もいる。
寝たふりをしながら聞き耳を立てていると、ついに私の名前があがりました。基本的には、やはり、ちょっとした悪口から、始まる。
多少、グサグサと突き刺さるところも多く、「存外、聞いているの、しんどいな」と思っていると。
「でも、あいつ、みんなの見てないところで、こんなことをしていたよな」
「そうだよな、それから、体育祭の準備の、あのとき、いい動きをしていたよな」
などなど、聞いているこちらも驚くほど、良いところも見つけ出してくれていて。
たった、それだけの話なのですが、なんかいい話を聞いたような気持になり、布団の中で、胸がじいんとしてしまった、そんな思い出が、あります。
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この記事の目次
劉備と徐庶の出会いは、隣の部屋から聞こえる夜話から始まった
さて、概して、少年の心を熱くさせる展開の多い、『三国志演義』。
変な意味ではなく、「男と男の友情」に絡んだ名場面が続々と登場する物語ですが、その中でとりわけ、僕に「いいなあ」と思わせたのは、劉備と徐庶の、初めての出会いの場面です。
二人の出会いは、そもそも最初からすれ違いになっている。
劉表の後継者争いに巻き込まれ、命を狙われ、危うく逃げ延びた劉備は、地元の名士、司馬徽先生の家を訪ねます。
そこで司馬徽先生より、
「臥龍・鳳雛というあだ名の二人の賢者が、この土地、荊州にいる」ということを知らされるのですが、その二人の本名(諸葛亮孔明と龐統士元のこと)は、けっきょく、教えてもらえない。
もやもやした気持ちを抱えたままの劉備に、司馬徽は優しく、
「今夜はもう遅いから、泊っていきなさい」と言う。
お酒と夕食をごちそうになった後、劉備は別室に案内され、そこで寝床につきます。
「寝てる場合じゃないだろう劉備!」というツッコミは、スナオな十代少年読者には通用しない!
その夜。
劉備は、誰かが訪ねてくる音で、ふと目を覚まします。
隣室から聞こえてきたのは、朗々たる声の持ち主の、話し声。
誰か客人がきて、司馬徽先生と語らっているらしい。
客人「劉表に仕えてみようと、訪ねてみたのですが、たいした人物ではありませんでした」
司馬徽「徐庶よ、お前は劉表などに仕える小物ではない。もっと大物に仕えるよう、仕官先は慎重に探しなさい」
寝たふりを続けながら、その会話に耳を澄ませていた劉備は、
「司馬徽先生からあそこまで丁寧に扱われているということは、この徐庶なる人物は、ひとかどの人材なのではなかろうか。もしかすると、臥龍鳳雛と先生がおっしゃっていた人物の、どちらかいっぽうなのではないかな」
などと思いながら、また寝てしまいます。
その間に客人は去ってしまい、劉備と徐庶の、本当の対面は、もう少し後の場面にまで、とっておかれる、という次第となります。
「『この客人が臥龍鳳雛ではないか』と思ったんだったら、そのまま寝ないで、起きて会話に参加しにいけよ劉備!」
などと思ってしまうのは、大人の読者。
少年時代にこの展開を読んだ私なんぞは、
「寝ている間に隣室から漏れ聞こえてくる声が、すれ違いながらの、最初の出会い」
という展開に、ドキドキしたものでした。
三国志演義は変な意味ではなく、少年をドキドキさせる技巧に満ちていると思う所以
皆さんご承知の通り、三国志演義には、見事なまでに色恋沙汰がありません。貂蝉と呂布の物語も、あくまで陰謀劇の中で出てくる話で、ぶっちゃけ呂布の一人相撲ですし。
そのかわり、男気を感じさせる友情パワーの話なら、グッとくる話がいろいろある。
劉備と徐庶の、すれ違いだらけの友情も、忘れられないエピソードなのですが、隣室から漏れ聞こえてきた会話が、のちに人生を変えるほど重要になる友情の始まりなんて、「夏休みの友情物語」みたいな、雰囲気抜群の展開で、少年を熱くさせるシチュエーションを心得ているな、と思った次第なのでした。
まして、ここでの司馬徽先生と徐庶は、直接名前を出していないだけで、けっきょくは、「劉表なんかに仕えるよりも、劉備玄徳に仕えてみたほうがいいのでは?」と、隣室で寝ている劉備のことを話しているに等しいわけですからね。
後でそれがわかってくると、なんとも、くすぐったい。
三国志ライターYASHIROの独り言
でも、今、とつぜん気づいてしまいました。
ここで劉備と徐庶を引き合わせない司馬徽先生って、なんか、いやらしくないですか?
もちろん、ここで素直に二人が出会わないことが、作者の羅貫中にとっては都合がいいわけですので、
この場面に関しては、実は司馬徽先生=作者という見方もできますね。
たとえば、もし司馬徽先生が、「徐庶よ、実は隣の部屋に劉備様が泊っているのだ。
酒を出すから、今宵はゆっくり、二人で話をしてみたらどうだ」
と言ってしまったら、一気に物語は先へ進んだはずですが、なんとも味気ない展開になってしまっていたことも確か。
キューピット役のキャラクターには、もったいぶりや、わざとらしいじれたさも必要なのだと、痛感させてくれる、司馬徽先生の言動なのでした。
あ、しつこいようですが、「キューピット役」といっても、へんな意味は込めておりません。あしからず。
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