三国志は謀反の繰り返し!呂布の部下、臧覇とは?呂布配下のナンバー2


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呂布VS劉備三兄弟

 

三国志(さんごくし)前半の華といえば呂布(りょふ)です。張飛ちょうひ)劉備(りゅうび)関羽(かんう)の三強と一人で互角に渡り合いました。

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

その桁外れの強さから呂布(りょふ)赤兎馬(せきとば)ばかりが有名ですが、彼にはどんな部下がついていたのでしょうか。

ここではナンバーツーと称される臧覇(ぞうは)を紹介していきます。

 

自称・皇帝
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呂布の部下のシステム

藏覇(臧覇)

 

臧覇(ぞうは)張遼(ちょうりょう)と並ぶ呂布(りょふ)の部下です。呂布が部長なら、臧覇(ぞうは)は”課長”。ナンバーワンの張遼も課長です。

 

成廉、魏越、呂布

 

呂布の部下は8人おり、2人の課長の下に3人ずつの社員がいるピラミッド組織でした。呂布カンパニー = 1(呂布) + 2(張遼、臧覇) + 6

トップダウン方式が三国志の時代にすでにできあがっていたのです。いわば9人の少数精鋭が率いた核弾頭のような一団だったと言えるでしょう。

 


 

臧覇、徐州で兵を勧誘

藏覇(臧覇)

 

徐州(じょしゅう)は現在の江蘇省(こうそしょう
)
山東省(さんとうしょう)の辺りを指します。長江(ちょうこう
)
の北側で近くに「昭陽湖(そやんほ)」という湖があります。江蘇省(こうそしょう)自体は黄海に面していますが、徐州(じょしゅう)は内陸でした。

 

黄巾を装着する黄巾賊

 

黄巾の乱(こうきんのらん)で黄巾賊を打ち破ると臧覇(ぞうは)徐州(じょしゅう)で兵を募集します。当時の徴兵方法は現地調達が一般的。戦が起こるとそのエリアに住む腕利きを審査して、採用します。

 

生卵を飲む呂布

 

そして、臧覇は開陽(かいよう)をホームグラウンドにして独立します。「開陽(かいよう)」の近くにいた呂布は当時を振り返り、臧覇と袁術(えんじゅつ)に挟まれた形となっていることを憂慮しています。呂布にも怖いモノがあったのです。

 

時空を越えた最強の将軍対決
呂布対項羽


 

呂布と同盟関係に

 

西暦197年、蕭建(しょうけん)臧覇(ぞうは)が打ち破ります。この蕭建(しょうけん)という人物、実は呂布の息がかかっていました。

 

高順が呂布に疎んじられた理由

 

つまり、ここで臧覇と呂布とが敵対関係になるのです。進軍をしようとする呂布を高順(こうじゅん)は止めに入りますが、彼は聞く耳を持ちません。

 

裏切った呂布

 

その呂布軍を撃退した臧覇。さらに自信をつけます。

 

藏覇(臧覇)と呂布

 

そして、両者はほどなく和解、同盟関係を結びました。


  

 

 

曹操との出会い

呂布を水攻めする曹操

 

翌、西暦198年。曹操(そうそう)軍が呂布を攻撃します。呂布の味方として進軍した臧覇。

 

曹操に命乞いをする呂布と反対する劉備

 

同盟関係にあった呂布が捕らわれ、斬首されると身をひそめます。曹操軍がよほど手ごわかったのでしょう。

 

曹操

 

ここで引き下がらないのが曹操、臧覇の首に懸賞金までかけハントを開始します。まるで西部劇のお尋ね者状態となった臧覇は、ついに曹操の手に落ちます。

 

藏覇(臧覇)と曹操

 

ところが奇妙なことに曹操は臧覇に会うと彼をいたく気に入ります。部下の孫観たちも一緒にどうかとパーティーに招くと曹操に下り、臧覇とともに位を与えられるのです。

 

藏覇(臧覇)

 

人生とは実に妙なものです。懸賞金をかけられていた臧覇は、”琅邪国相(ろうやこくしょう)”の地位と青州(せいしゅう)および徐州(じょしゅう)の統治まで任されます。

 

威虜将軍に出世

曹操と袁譚

 

西暦205年、袁譚(えんたん)を打ち破った曹操。臧覇をパーティーに招待します。理由は臧覇が統治していた青州や徐州を治めてくれたことへの感謝です。

 

藏覇(臧覇)と曹操と袁紹

 

あの”官渡の戦い(かんとのたたかい)”で曹操が袁紹(えんしょう)と思う存分に戦えたのは、臧覇が青州を抑えてくれたからだったのです。以前から、曹操は彼を労いたかったのでしょう。この時の宴で臧覇を都亭侯にし、”威虜将軍(いりょしょうぐん)”の名まで与えています。

 

曹操と虎豹騎

 

将軍と名のつく異名を与えられることは曹操配下の五本の指に入ったといっても過言ではありません。

 

孫権軍を張遼とともに征伐

陳蘭

 

西暦209年、曹操に異を唱えた武将・陳蘭(ちんらん
)
がいました。彼は呉の孫権(そんけん)と結び、曹操軍とにらみ合います。そこで白羽の矢が立ったのが臧覇と張遼(ちょうりょう)

 

愛馬に乗る張遼

 

張遼は呂布時代に臧覇とともに戦った仲です。相性は抜群でした。

 

藏覇(臧覇)と孫権

 

孫権は陳蘭を救うべく出立しますが、臧覇が”皖城”に入ったため救出困難となります。一度、撤退した孫権は川から水軍を使って攻撃。しかし、臧覇はこれを見事、挟み撃ちにし、孫権はついに後退するのです。まもなく張遼が陳蘭を討伐、戦いの幕が下ります。

 

曹丕の軍事顧問になる臧覇

曹操と曹丕

 

西暦220年。曹操がついにこの世を去ります。

 

撃剣を使う曹丕

 

後を継いだのは曹丕(そうひ)。曹操の子どもです。

 

藏覇(臧覇)と曹丕

 

初代魏王の曹丕ですが、臧覇を快く思っていませんでした。理由は曹操が死去したとき、彼の部下が勝手に持ち場を離れたという”青洲事件(せいしゅうじけん)”に起因します。側において監視しようと曹丕は臧覇を軍事顧問として王宮に住まわせるのです。

 

曹叡の時代の臧覇

曹叡

 

西暦226年。曹丕がこの世を去ると曹叡(そうえい)が魏王朝を継ぎます。臧覇はまだ生きています。資産を3,500戸にまで増やしてもらうとほどなく死去します。臧覇の後継者には息子の臧艾(ぞうがい)が選ばれるのです。

 

三国志ライター上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

こうして俯瞰してみると名の通った武将より軍師的存在の臧覇の方が長生きしています。「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」と言われますが、権力者はストレスが多かったのでしょう。二代目魏王の曹叡(そうえい)は34歳で命を落としています。

 

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【天下無双の豪傑・呂布の放浪記】
呂布

 

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