【宛城の戦い】背後にあった女性(鄒氏)の謎と想像の考察

2019年6月7日


 

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曹操

 

 

乱世の奸雄(らんせのかんゆう)」と言われた曹操(そうそう)三国志演義(さんごくしえんぎ)の方では悪役のように描かれることが多いものの、その能力は三国志の登場人物の中でもトップランクの持ち主です。

 

曹操の元で仕える辛ピ

 

 

優れた頭脳の持ち主であり、窮地を才覚で切り抜ける姿は幾度となく見ることができます。

 

曹操

 

しかしそんな天才とも言える曹操も、その人生において失敗が一度もなかった訳ではありません。今回のお話の舞台はそんな曹操がやらかしてしまったことで有名な宛城の戦い(えんじょうのたたかい)ととある「美女」についてです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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宛城の戦いの経緯

賈詡と曹操と張繍

 

宛城の戦いは、曹操と張繍(ちょうしゅう
)
の戦いです。ある日曹操が苑の地に進軍してきます。

 

 

賈ク

 

 

この当初、張繡には曹操の軍師として名高い賈ク(かく)が付いていました。賈クは非常に優れた先見の明を持っていたので、曹操とは真っ向から戦うことは避けて一度曹操に降伏、後に再び時勢を見て戦うことを進め、張繡はこれを受け入れます。

 

曹操と張繍

 

張繡は曹操に降伏、これに気を良くした曹操は張繡をそのまま苑の地を治めさせるようにして、その地に自分も滞在することにしました。腹の探り合いもあったのでしょうが、この頃は曹操と張繡は対立してはいませんでした。

 

 

 

「少しばかり三国志演義の話をしましょう」

曹操 女性の敵? 鄒氏

 

これはあくまで三国志演義の話ですが、張繡には義理の叔母に、鄒氏(すうし)という女性がいました。

 

叔父の張済(ちょうさい
)
は既に亡くなっていたので、鄒氏は未亡人です。そして鄒氏はとても美人でした…そこで曹操は鄒氏を自分のお妾さんにしてしまったのです。

 

鄒氏

 

自分の一族の女性すら我が物にする傍若無人な曹操に腹を立てたのか、亡き叔父を貶める振る舞いに怒ったのか、はたまた後妻故にまだまだ若く美人な鄒氏と自分が…と思ったのかは定かではありませんが、張繡はこれに激怒。

 

卞氏の冷静な対応と曹操

 

曹操も張繡が自分に激怒していることを知ると張繡の暗殺計画を立てますが、行動は張繡の方が早く、曹操に夜襲をかけます。つまり三国志演義では宛城の戦いは曹操の女癖の悪さが招いたように描かれています。

 

 

鄒氏という女性の謎

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

そしてここで振り返ってみたいのは「鄒氏という女性」です。実はこの女性は、正史には登場しません。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

「張済には妻がいた」「その妻は曹操の妾になった」この記述があるのみで、名前も判明してなければ美女とも書かれていないのです。ただしこの人物に関しての記述が、後漢記には乗っています。こちらによると張済の未亡人で絶世の美女、となっています。ただしこの記述は前述したように正史には登場していません。

 

晋蜀の産まれ 陳寿

 

 

おそらく陳寿(ちんじゅ)がこの記述を採用しなかったからだと思いますが、一人の女性で争いが起こるという似たような話が、三国志には出てきますよね?

 

貂蝉を奪い合う董卓と呂布

 

そう、董卓(とうたく)貂蝉(ちょうせん)呂布(りょふ)の話です。

 

貂蝉と呂布

 

これもまた正史には記述のない貂蝉という女性がきっかけとなって両者の仲が決定的に悪化、争いが起こります。この非常に似た構図から、ある仮説を考えて見ました。

 

 

どうしてこのような女性像が生まれたのか?

悪来と呼ばれた典韋

 

どうして曹操が張繡に負けたのか、しかも夜襲をされて嫡男甥っ子大切な家臣と一気に失うという大敗北。

 

苛ついている曹操

 

そこに何があったのか?何かなけりゃあおかしいよなぁ?きっと何か理由があったんだ!

 

だってそうじゃなければあの兵法の大家、天才と言っても過言でない曹操がこんな無様な負け方をするはずがない!だとしたら理由は何だろう…女性にたぶらかされた?だったら凄い美女だったんだろう!呂布もそうだったし!

 

鄒氏の最期

 

…あくまで想像ですが、鄒氏はこういったイメージから生まれたのではないでしょうか?

 

演義ではオリジナルキャラクターが幾人か登場しますが、完全に元ネタがないという人は殆どいません。

そこで張済の妻を利用して鄒氏、というキャラクターが出来上がったのではないでしょうか。

 

水滸伝って何? 書類や本

 

因みに三国志演義では鄒氏は曹操がいなくなった後に張繍から「曹操に身を任せた」と激怒されて切り殺されて退場します。

貂蝉と違って悲劇的な演出が盛り込まれていないところを見ると、あまり人気の出なかったキャラクターだったのかもしれませんね。

 

三国志ライター センの独り言

三国志ライター セン

 

今回は宛城の戦い、と言いつつもその背景、その背後にいた女性にスポットと妄想を当ててみました。

 

李カク

 

三国志と三国志演義の違いを見るのはファンなら一度はやると思いますが、その中でどうしてそんな人物像が生まれたのか、そこにも注目してみて下さい。

ただの演出、創作と三国志演義を切り捨てずに注目していくと、色々な人物を深読みできて面白いですよ。

 

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曹操孟徳

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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