「西涼の錦馬超」・・・彼はどこまで「西涼の」馬超だったのか?

2019年9月16日


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周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

馬超(ばちょう)と言えば三国志、特に蜀伝では関羽(かんう)張飛(ちょうひ)趙雲(ちょううん)黄忠(こうちゅう)と同じ巻に活躍が乗せられているということもあって、三国志演義では華々しい活躍が多く描かれています。

 

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

その姿を三国志演義で「錦馬超」とまで称えられているほどですが、馬超の呼び方で一つ気になるのが「西涼」という呼び文句。西涼というのは涼州の西、この呼び方から「馬超は涼州生まれ」「涼州で権威を持っていた」と勘違いしている人がいますが、それは大いにミステイク。

 

今回はこの「西涼の錦馬超」について、そして馬超はどこまで「西涼の」錦馬超であったのか……を紹介してみたいと思います。

 

自称・皇帝
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馬超の出身地、生まれはどこ?

蜀の馬超

 

馬超の生まれは涼州(りょうしゅう
)
、と思っている人が多いですが、実際には雍州(ようしゅう
)
です。雍州は現在の陝西省中部から北部に当たる場所で、三国志で言うと涼州よりも東の土地になります。

 

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

では馬超が涼州に訪れたのはいつなのか?

こちらは推測ですが、馬超の父である馬騰(ばとう)の軌跡を追うことで多少知ることができます。

 

馬騰

 

馬超の父、馬騰は異民族との戦いで評価され、董卓(とうたく)が実権を握っていた頃には偏将軍となりました。その後は李カク、郭シらに恭順して征東将軍と鎮西将軍に任じられます。それからだいぶ経ち、馬騰は韓遂と共に涼州に戻って義兄弟の契りを結んだとあります。

 

「涼州に戻った」とあるので、これ以前には馬騰は既に本拠地を涼州に持っていたのでは?と、推測できるという訳ですね。なので筆者はこの頃には馬超は涼州に身を置き、そして成長していったのではないかと思います。


馬超の「錦馬超」の由来

蜀 武運を誇る馬超

 

さてここで涼州だけでなく、「錦馬超」についても少し話しておきましょう。

 

馬超の兜にフォーカス

 

錦馬超という呼び名は、三国志演義の呼び方です。実際に正史で馬超が錦馬超と呼ばれるような場面はありません。またこの錦馬超という言葉の意味は、簡単に説明すると「とてもイケメン」という意味です。

 

これは馬超の父である馬騰が羌族とのハーフであり、成人した馬騰は身長6尺を越える長身、容姿は雄異であるとされているところから発展させたものと思われます。因みにこの羌族は古代から中国西北に住んでいる民族で、そこから西羌とも呼ばれていて、現在でも少数民族として生活している人たちがいます。

 

これを踏まえて馬超に新しい魅力を付け加えた三国志演義、ではそのことを念頭に置いておきながら、西涼の錦馬超についてお話していきましょう。


「涼州」は一体誰のもの?

五虎大将軍の馬超

 

西涼というのは涼州の西、もしくは西の涼州といった意味でしょう。しかしこの涼州は、馬超の物だったわけではありません。馬超が劉備の元に訪れた時には既に曹操の物であり、三国鼎立から蜀の敗北、魏の勝利から晋に至るまでの間この涼州はずっと荒廃していました。最終的に異民族が多く広すぎることからか、晋はこの土地を殆ど放棄します。

 

梁興と馬騰

 

また馬騰たちのように涼州太守が置かれたことはあったようですが、実質支配されていた範囲は一部分だったようです。つまり涼州はほぼ、誰のものでもなかった期間の方が長いのです。なので「西涼の馬超」と言うと涼州を支配していた経験がありそうですが、実際には「西涼(方面に一時期いたことがある)馬超」……と言う意味になるようですね。


馬超の数奇な運命

馬超の仲間入り

 

馬超は放浪の末に、劉備の元に身を寄せることになりました。しかし西涼の錦馬超、涼州の馬超はこの頃には既に涼州は曹操のものになっていただけでなく、この土地を馬超が支配していたという事実も殆どありません。あくまでこの呼び方は三国志演義で馬超の存在に箔を付けるため……といった意味が強そうです。

 

馬超

 

しかし逆を言えば、馬超が曹操に勝って涼州を治めるようなことがあったなら、馬超は劉備の元に身を寄せることはなかったでしょう。西涼の錦馬超でも、涼州の馬超でもなかったけれど、確かに彼は「蜀の馬超」だった……そう考えると、不思議な運命の巡り合わせを筆者は馬超に感じますね。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は馬超について、色々な面から探りを入れてみましたが、いかがでしたでしょうか。

三国志演義では西涼の錦馬超と名高い馬超ですが、正史を追っていくとその生涯はただ華やかなものではなく、挫折や苦渋といった辛いことも多くあります。

それもまた馬超の魅力の一つと筆者は考えますので、この機会に馬超の人生を追ってみて頂ければ幸いですね。

 

参考文献:

三国志蜀伝・馬超伝

 

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