呉質とはどんな人?建安七子に関わった文学者の一人でもあり曹丕の友人

2019年9月23日


 

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腐れ儒者気質な孔融

 

建安七子(けんあんしちし)とは、孔融(こうゆう)陳琳(ちんりん
)
徐幹(じょかん
)
王粲(おうさん
)
・応トウ・劉楨(りゅうてい)・阮ウら七人の総称であり、彼らの作りだした文学は建安文学と呼ばれています。

 

曹操

 

その文学の後援者でもあり同時に詩人として評価の高かった曹操(そうそう)曹丕(そうひ)曹植(そうしょく)をまとめて建安の三曹七子と呼びます。この建安七子に関わった、貢献した著名文学者たちもまた多いのですが、その中に「呉質(ごしつ
)
」という人物がいます。

 

今回はこの呉質について紹介したいと思います。

 

自称・皇帝
当記事は、
「呉質 建安七子」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呉質ってどんな人?

呉質

 

呉質は曹丕の四友、繰り返しますがとても仲良しなお友達の一人です。

 

水滸伝って何? 書類や本

 

正史に彼に関しての記述自体は少ないのですが、残された文献からは「頭が良いが、身分が低い」と評価されています。曹操に仕えることになった呉質は非常に曹丕に気に入られ、なんとあの司馬懿、陳羣と並べられるほどになります。

 

孟達に恋文を送る曹丕

 

曹丕は良く冷淡な人物と言われますが、彼は呉質にいくつもの手紙を残しています。これは曹丕のイメージを一変させる内容なので、ちょっと紹介していきましょう。

 

呉質へ度々手紙を送っていた曹丕

曹丕と仲良く文通する呉質

 

さて曹丕の手紙を全文載せるとそれだけで凄く長くなってしまいますので簡単に要約を。

 

「貴方と離れ離れになってもう四年。三年会えなかっただけでも辛いのにそれよりも長いなんて耐えられない!手紙だけじゃ私の心は安らげないよ……」

 

ここだけでも「冷淡な文帝」イメージが変わってしまいそうですが、ここから自分は才能がないこと、太子としてやっていくことへの不安、そして耐え難い孤独を吐き出します。他人に弱みを見せるとなると、よほど信頼している相手でないとできませんよね。

 

ツンデレ曹丕

 

それが皇帝ともなれば尚のこと、簡単に弱みを見せる訳にはいきません。しかしそれでも曹丕が度々こんな手紙を送るような、そんな関係だった……そう考えるととても得難い、尊い関係の友人だったとは言えないでしょうか。

 

呉質の「珍」活躍っぷりをご覧あれ

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

さて呉質の人となりですが、一言で表現すると「小人物」でしょうか。もうちょっというと「性格の悪い小人物」です。

「好」人物ではなく「小」人物、ここ重要なので覚えておいて下さい。

 

彼のエピソードはいくつかありますので紹介しましょう。ある日曹操が遠征することになりました。そこで呉質は父を見送る曹丕に「取り合えず泣いときましょう!」と言い出します。

 

さて当日、見送りの場で弟の曹植は曹操を称える詩を贈る中、黙って曹操を見送り涙を流す曹丕を見て人々は「父上との別れを嘆くなんて……誠実なお方!」と感動したということです。これぞパフォーマンスの勝利。

 

曹丕 スイーツ

 

またある日の呉質のエピソード。曹丕は傍に呉質がいないと安心できず、遠い土地にいる彼に手紙を送ります。何を考えたか呉質は箱に入って秘密裏に曹丕の所に通うのですが……この箱入り娘ならぬ、箱入り呉質を疑ったのが曹植の友人の一人、楊脩。

 

楊脩(ようしゅう)

 

彼は曹操に「呉質は任務ほっぽり出して曹丕様のとこに行ってます!きっと何か企んでますよ!」と告げ口しますが曹操は取り合わず。自分が疑われていると知った呉質、なんと曹丕に絹の入った箱を送ります。今度は箱を調べた曹操、楊脩(ようしゅう
)
の告げ口が間違っていたと思い「楊脩は息子を陥れようとしているのでは?」と逆に楊脩を疑ったといいます。

 

呉質、賢いですよね……ええ、賢いの頭に「ずる」とか「悪」とか付きそうなのはちょっと否定できませんが。それでも周囲に曹丕を認めさせたり、曹操を欺くだけでなく楊脩を逆に利用して陥れたり、彼自身も非常に頭の回る人物であったことは疑うべくもありません。

 

なんとも言えない小物臭さが呉質の魅力

曹丕

 

さてそんな呉質は曹丕に気に入られていたのでバンバン出世しますが、文帝早逝。

 

陳羣

 

その後、同じく四友に並べられていた陳羣(ちんぐん)が行政トップ大臣の位置に出世しました。陳羣も友の一人なんだから協力して頑張ると思いますか?残念ながら呉質はそんな人物ではありませんでした。

 

陳羣

 

なんと呉質は悪口を曹叡に吹き込みまくり、陳羣を引きずりおろそうとし始めます。しかし曹叡が陳羣は本当に悪質な人物なのか、と周囲に尋ねると「呉質の言っていることはみんな間違い」と声を揃えて反論されてしまうのでしたとさ。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

いかがでしょうか、呉質、とても小物臭い人物ですよね。

 

だけどそんな呉質にだけ文帝ともあろう人物が内心をさらけ出すほど信頼していた……そう考えると、その小物臭さこそ呉質の魅力だったのではないでしょうか。なおそんな呉質の送り名は「醜侯」……ちょっとかなり?周囲に嫌われていたのかもしれませんね!

 

それでも上司に好かれていただけで出世したとは言い難い呉質の魅力、伝わりましたでしょうか?

 

参考文献:

文選 魏文帝与呉質書

参考記事:

呉質 wikipedia_

 

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