馬超は孔明と一緒に戦った事はあるの?

2019年10月15日


 

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蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

劉備(りゅうび)の配下として活躍した馬超(ばちょう)

 

蜀の皇帝に即位した劉備

 

演義ですと劉備が漢中王の位に就任した際、関羽(かんう)張飛(ちょうひ)趙雲(ちょううん)黄忠(こうちゅう)と同じく五虎将軍の一人に列せられ活躍しています。

 

挑発する諸葛亮孔明

 

そして蜀の天才軍師として名高い諸葛孔明(しょかつこうめい)。諸葛孔明は関羽や張飛、趙雲らの諸将を指揮した事はありますが、馬超を指揮下に入れて戦場で戦った事があるのでしょうか。

 

韓信vs孔明

 

また彼と一緒の戦場で戦った事はあったのでしょうか。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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成都攻略戦で一緒に戦う孔明と馬超

五虎大将軍の馬超

 

三国志演義では「錦馬超」として知られ、許褚(きょちょ)や張飛と互角の一騎打ちを繰り広げた武勇の持ち主・馬超。彼は潼関の戦いで曹操軍に敗北。馬超は曹操軍に敗北後、領地になっていた涼州で暴れまわるも、曹操軍や楊阜(ようふ
)
らの反撃にあって涼州で居場所を失います。

 

馬超と羊

 

こうして馬超は涼州から逃亡し、漢中で一大勢力を築いていた張魯の元へ身を寄せることになります。その後馬超は張魯(ちょうろ)の元を離れ、劉備軍に加わることになります。馬超が劉備の元へ加わったとき、ちょうど成都攻略戦が行われている最中でした。この時初めて彼と孔明が一緒の戦場で戦うことになります。

 

漢中攻防戦で共に戦う諸葛亮と馬超

法正に敗れる夏侯淵

 

劉備は益州を手に入れると曹操の領土となっている漢中を攻略するため諸将を連れて出陣。漢中は法正(ほうせい)の軍略のおかげで奪うことに成功します。曹操は劉備に漢中を奪われた事を知ると自ら漢中を奪い返すべく出陣。

 

孔明インタビュー

 

この時馬超は諸葛孔明と一緒に漢中を奪い返すために出陣してきた曹操軍を撃退するため、同じ戦場で戦っています。この時も諸葛孔明は五虎将軍の一人である馬超と一緒に戦場を疾駆したわけではありませんが、参謀役として参加した孔明の指示を受けて馬超が戦っていたと思われます。

 

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

そしてこの漢中攻防戦以降、馬超と諸葛孔明が一緒の戦場で戦うことはありませんでした。なぜ馬超は漢中攻防戦以降諸葛孔明と一緒に戦わなかったのでしょうか。その理由は馬超が早くに亡くなった事が大きな原因と考えられます。

 

正史三国志では一緒に戦った事はあるの??

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

三国志演義を元に二人が同じ戦場で戦ったことがあるのかを紹介しました。ここからは正史三国志を元に二人が同じ戦場で戦ったことがあるのかを紹介してきたいと思います。正史三国志蜀書・馬超伝から見ていきたいと思います。

 

馬超

 

それによれば、馬超は劉備が成都攻略戦の最中、劉備の配下として加わります。このことから諸葛孔明と一緒の戦場に参加していた事がうかがえます。ですが、この成都攻略戦以降、馬超伝によれば諸葛孔明と一緒の戦場で戦ったもしくは諸葛孔明の指示を受けて戦場で活躍した等の記載はありませんでした。

 

また正史三国志蜀書・諸葛亮伝にも諸葛孔明が馬超を指揮下に入れて戦いに臨んだとの記載もありませんでした。このことから正史三国志では馬超と諸葛孔明が一緒の戦場で戦ったことがあるのは成都攻略戦ただ一回だけとなります。

 

そして諸葛孔明が馬超を指揮下に入れて戦場に臨んだ事は一度も無かったのです。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

馬超は劉備配下に加わった時、涼州で曹操に反旗を翻したような精彩をほとんど欠いていたように思われます。ですが、もし馬超が魏を討伐するために諸葛孔明が起こした第一次北伐戦まで生き残っていれば、街亭を守る将軍に馬謖を任命するのではなく、歴戦の勇将である馬超を用いる可能性があります。

 

馬超を街亭の守りにつかせれば、魏軍から街亭を守り抜くこともできたでしょう。また馬超を街亭の守りに使わず、涼州各地の平定戦に用いれば、諸葛孔明率いる蜀の本隊が東へ向かってまっすぐ進め、蜀が有利な戦況を作り出せたかもしれません。

 

いずれにしてもレンは馬超が若くして亡くなかったことが悔やまれてならないと感じるのですが、皆様はどのように思いますか。

 

■参考文献 正史三国志蜀書など

 

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馬超特集

 

 

 

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