孔明は本当に天気を変えることができたの?東南の風の秘密

2019年10月17日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

孔明 東南の風

 

孔明(こうめい)の最大の見せ場とも言われているのが、三国志演義・赤壁の戦いでの東南の風。

 

周瑜はナルシスト

 

呉の運命を変える、風の向きを変えたその姿に天気、つまり天の意志さえも変えることができるのかと脅威を感じる周瑜(しゅうゆ)とのやり取りが多く描かれているシーンで、三国志演義屈指の超人・孔明のシーンでもあります。

 

挑発する諸葛亮孔明

 

しかし孔明は本当に天気を変えることができたのでしょうか?

今回はこの東南の風の秘密について考えていきたいと思います。

 

自称・皇帝
当記事は、
「孔明 天気」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

関連記事:北伐で諸葛亮と敵対?昔のクラスメイト孟建と戦うことになった奇妙な関係性

関連記事:魏延が街亭を守っていれば北伐戦は成功したかも!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



三国志演義での演出が大きい赤壁の戦い

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

前提として、三国志演義では三国志について創作の演出が多く加えられています。実際にはいない武将がいたり、いたはずの武将がいなかったりと……その中でも、赤壁の戦いでの演出は、群を抜いて多いといっても良いでしょう。

 

孔明

 

つまり孔明が祭壇で祈祷して風向きを変えた、というのは三国志演義によって加筆された演出なのです。ここまでは三国志を良く読まれた方なら知っていることと思います。ではそこから更に一歩。

 

「孔明は天気を変えることはできたのか?」について考えていきましょう。

 

孔明は天気を知っていた……?

孔明もコペルニクスに似ていた

 

実際に、通常の人間に天気を変えるなんて力はありません。しかし天気予報のように、風向きや湿度、温度や過去の現象から天気を「読む」ことは可能です。

 

孔明と姜維

 

古来より、軍師と言われている人々は自然現象に対してとても詳しかったと言われています。例えば進軍する際に兵士たちに履物を変えさせて、より動きやすくしたりするなど……その土地に対する知識が深かったのです。

 

考える諸葛亮孔明

 

なので孔明も知識として東南の風、つまりは偏西風の存在を知っていたのではないかと思います。それを利用して行動したことを、三国志演義では更に演出を加えた、と言われているのです。

 

「東南の風」は呉の諸将も知っていたのではないか?

三国志の計略と孔明

 

しかしここで気になるのは「三国志」の存在。三国志では孔明が東南の風を起こしたという記述はありませんし、言ってしまえば赤壁の戦いで孔明が大活躍したような記載はありません。

 

むち打ちで裁かれる黄蓋

 

むしろ三国志演義では孔明の引き立て役のような存在にされてしまっている、周瑜、そして黄蓋(こうがい)程普(ていふ
)
などの呉の武将たちが活躍している場面なのです。

 

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

魏書でこそ曹操(そうそう)劉備(りゅうび)に軍船を焼かれて撤退した、となっていますが、呉書の周瑜伝では黄蓋による火攻めの策の進言を周瑜が取り入れ、偽りの降伏、つまりは「苦肉の策」によって曹操軍に打撃を与えるに至ったと書かれているように、これはほぼ黄蓋の提案と見ることができます。

 

周瑜

 

もちろんそれを取り入れた周瑜や、実際に戦った名もなき兵士たちの活躍も赤壁の戦いを成功したことに関わっていると思われますが、決して呉の人々が東南の風を知らなかったということではないと思います。

 

赤壁の戦いで見える、情報の凄さ

地球

 

赤壁の戦いで起こった東南の風は、偏西風だと言われています。その偏西風の存在は地元の人々なら良く知っていることで、荊州に滞在していた孔明だけでなく、呉という土地が出身地である周瑜や黄蓋にとっても知っていて当然、日常的なことだったのではないでしょうか。

 

赤壁の戦い

 

ですが北の出身である曹操はそれを知らず……つまり地理、気象情報を呉の人々は持っていた。それを活かせるかどうかで、赤壁の戦いの勝敗が決まったのではないかと考えます。

 

孔明

 

孔明は魔術師のように天候、天気を変えたからすごいのではなく、それを情報として知り、活かせたのがやはり一級の能力であったと思います。赤壁の戦いはただ火攻めで大軍を打ち破っただけではありません。小さな情報をどれだけ活かせるか、古来の情報戦の大切さを説く戦いでもあったと思うのです。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は孔明の天気を読む力、について注目してみました。筆者も初めて三国志演義を読んだ時は、東南の風を知っていた孔明の凄さに驚いたものです。

 

スマホをいじる孔明

 

しかし孔明の、ひいてはこの時代の策略を巡らせる人々の凄さは天気を操ったり、変化させたりするのではなく、どれだけ「データ」を知っていたか、そして活かせたかにあるのだと気付きました。

 

孔明

 

現代はより文明が進んでいますが、私たちも三国時代の武将たちに負けないように、色々な情報を知って日常生活名の中で活かしていってみたいですね!

 

参考文献:魏書武帝紀 呉書周瑜伝

 

関連記事:諸葛亮がもし延命していたら三国志はどうなる?第五次北伐後の孔明の戦略

関連記事:魏延がいれば陳倉の戦いは勝てた?それとも負けた?史実の北伐を解説

 

北伐の真実に迫る

北伐

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
はじめての三国志 プロフィール画像

はじめての三国志

「ゆるく、たのしく、わかりやすく」をコンセプトにした 歴史エンタメメディアです。
(®登録商標:第5800679号)

-三国志の雑学
-,