【三国志演義】赤壁の戦いではどうして孫権より周瑜の出番が多いの?


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赤壁の戦い

 

呉の大黒柱孫権(そんけん)、しかし、そんな彼のデビューとも言える赤壁の戦いにおいて、孫権には存在感はほとんどありません。

周瑜

 

孫権に代わり赤壁の戦いの一切を取り仕切っているのは大都督周瑜(だいととくしゅうゆ)であり、それに比べると孫権は、ほぼわき役の立場です。

 

呉の孫権

 

一国の主である孫権はどうして目立たないのか?

そして史実から見えてくる孫権が赤壁で目立とうとしなかった驚くべき理由について考えます。

 

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三国志演義の赤壁の主役は孔明だから

孔明

 

どうして赤壁の戦いで孫権が目立たないのか?その大きな理由は三国志演義における赤壁の戦いの主役は諸葛孔明(しょかつこうめい)だからです。孔明を目立たせないといけないのですから、孫権はなるべく出てきてほしくありません。大事な決断の時だけ登場し、後はいるかいないか分からない位が丁度いいのです。

 

周瑜

 

そして、もう一つの理由は、赤壁の戦いにおいて大都督として呉軍の指揮を執るのが周瑜だからです。孔明を目立たさせるには、まず周瑜に手柄を立てさせて周瑜はスゴイ武将だという印象を与えてから、後でそれを孔明が上回るというテクニックが必要になります。

 

それが端的に出ているのは、十万本の矢を得る話と東南の風を吹かす話でしょう。

 

周瑜は諸葛亮の才能を危険視して、戦争の前だが矢が足りないと孔明に持ちかけて10日で十万本の矢を調達して欲しいと依頼し、失敗したら難癖(なんくせ)をつけて殺してしまおうとします。しかし、孔明は涼しい顔で、「決戦は近いというのに十日とは悠長(ゆうちょう)な」と笑い三日で矢を調達すると断言します。

 

そして、3日目の最期の晩に孔明は藁の兵士を満載した小舟で切り深い長江に乗り出し曹操軍から雨のような矢を放たれると、これを回収して周瑜に渡すというオチになります。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

ちなみにこの十万本の矢の元ネタは、孔明でも周瑜でもなく呉録にある孫権の逸話です。


計略の8割を周瑜が最期の2割を諸葛亮がキメ!

孔明 東南の風

 

また、東南の風は龐統の連環の計により曹操軍の船を全て鎖で繋げる事に成功した周瑜が火計で曹操の水軍を焼き払う計略を思いつくものの、敵軍を焼き払う東南の風が吹かない事を悩んだ時に、孔明が期日までに東南の風を吹かせると約束して、期日通りに風を吹かすという話です。

周瑜の魅力

 

周瑜は曹操が派遣してきた旧友の蔣幹(しょうかん)を利用して偽手紙を掴ませ曹操軍の水軍の将である蔡瑁(さいぼう)張允(ちょういん)を呉の内通者に仕立て上げ曹操に始末させたり、

 

むち打ちで裁かれる黄蓋

 

曹操が送り込んだ偽の降伏者である蔡和(さいわ)蔡中(さいちゅう)を利用し黄蓋(こうがい)との間で苦肉の策を実行して、黄蓋が周瑜を憎んで曹操に投降しようとしていると信じこませるなど、赤壁の戦いではほとんど全ての計略に関わっていますが、最後の2割の仕上げで知恵が出ずに孔明を頼ります。

 

諸葛孔明を自分のもとに入れたくて堪らない劉備

 

これにより読者は周瑜もスゴイが一番スゴイのは孔明だなという結論になるように誘導されていくわけです。

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

もう一つ、三国志演義の周瑜は有能だが心が狭く、諸葛孔明の才能に嫉妬して事ある度にこれを殺害しようとする陰険な人物としてキャラ設定されています。神の如く公平で天下全体を見渡す孔明と、狭量で呉の為に孔明を殺そうとする周瑜では、どうしたって諸葛亮に人気が集まるのは当然です。

 

赤壁の戦いを斬る!赤壁の戦いの真実

赤壁の戦い


史実でも孫権は赤壁の戦いに関与しなかったその理由は?

孫権

 

三国志演義では、孫権はほとんど赤壁の戦いに関与していないと書きましたが、実は史実でも孫権は赤壁の戦いに参加していません。史実の孫権は周瑜と程普(ていふ)を左右の都督とし魯粛(ろしゅく)を賛軍校尉として補佐させているだけで自分は動いていません。

周瑜と程普

 

こうしてみると、孫権は慎重な性格か戦争が嫌いな人物に見えますが、そうではなく実際には逆で、弱いくせに合肥攻めなどは4回も行い全てに参加しています。そんな好戦的な孫権がどうして、赤壁では参加しなかったのか?

 

魯粛と周瑜が詐欺を決行

 

どうもこれは保険を掛けるつもりだったようです。魯粛と周瑜に促されて曹操と戦うと決意した孫権ですが万が一敗北した場合に備え、

 

呉の孫権は皇帝

 

戦いの全ての権限を周瑜に代行させ、仮に負けようものなら「あれは、周瑜と魯粛が勝手にやったのです」責任転嫁(せきにんてんか)を図るつもりだったのかも知れません。


聞きしに勝る蝙蝠野郎孫権

合肥の戦いで痛い目にあった孫権

 

その証拠に周瑜と魯粛、程普が首尾よく曹操軍を撃破するや、孫権は自ら手勢を率いて合肥城(がっぴじょう)を包囲、降伏派だった張昭(ちょうしょう)にも九江の当塗(ととう)を攻めさせています。「やったー曹操のチビが負けおったラッキー!今じゃ!魏の領地を奪えるだけ奪え」てなもんです。

 

張昭

 

しかし張昭の兵は当塗を落とせず、孫権は孫権で戦争が下手っぴなので攻城して一カ月経過しても合肥を落とせませんでした。曹操は荊州より鄴に帰還すると張喜(ちょうき)に命じて騎兵を率いて合肥に赴かせます。これで「あっやっべー」と思った孫権はさっさと合肥から撤退してしまいました。

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

やや複雑になりましたが、正史三国志においては、孫権が蝙蝠(こうもり)ぶりを発揮して曹操に負けた時の責任転嫁を図る名目で、周瑜に戦争の全権限を与えました。

 

kawauso

 

そして、正史三国志を下敷きにした三国志演義では、演義の主人公である諸葛孔明を目立たせる為に、孫権は出ないようにしつつ、同時に事実上の赤壁の功労者である周瑜の功績を上手く活かしつつも、8割の手柄に留めておき、その上の仕上げの2割を孔明の手柄にして目立たせようとしました。

 

周瑜

 

そして、それだけでは足りないと周瑜の性格を歪め狭量で嫉妬(しっと)深い性格とし孔明を殺そうとして逆に手柄を立てさせてしまうピエロにしてしまったのです。

 

悪い顔をしている諸葛亮孔明

 

また、羽扇(うせん)綸巾(りんきん)は今では諸葛亮のトレードマークですが、元の時代以前にはこれも周瑜のトレードマークだったのだそうです。だとしたら周瑜は奪われに奪われまくる可哀想な存在のような気がしますね。

 

参考文献:正史三国志 三国志演義

 

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