『三国志演義』は中国の明の時代に、羅貫中によって書かれた小説で、中国四大奇書の1つに数えられています。『正史三国志』をベースに、さまざまな伝承や資料を加えて作成されました。
史実と創作が入り混じったストーリーの中には、驚くようなエピソードがいくつもあります。
今回は『三国志演義』に関する逸話を紹介します。
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饅頭の生みの親は諸葛亮孔明
さまざまな能力に秀でていた諸葛亮。
内政や軍略だけでなく、発明家としての顔も持っていました。機械仕掛けの輸送車や10連射できる連弩など、諸葛亮はいくつもの発明品を生み出しています。
その中でも異色なのが「饅頭」です。日本で饅頭というとあんこの入った和菓子のことをいいますが、中国の饅頭なので「中華まん」のことです。
それは諸葛亮が南蛮征伐に行ったときのお話。南蛮の王、孟獲を臣従させることに成功して蜀に帰る途中、濾水(ろすい)という河を渡ろうとするのですが、氾濫していて行軍できなくなります。
諸葛亮が困っていると、現地の住民は「河の荒神を鎮めるには49人分の生首と黒牛と白羊を生贄としてささげなければいけない」と教えます。南蛮征伐ですでに多くの兵を失った諸葛亮は、別の方法を考えます。
練った小麦粉に、牛や羊の肉を詰めたものを代用品として捧げたのです。これで河の氾濫は収まり、諸葛亮たちは蜀に帰国することができたのでした。このときの捧げものが、のちに食用となり「饅頭」と呼ばれるようになったとされています。
毎年寒い季節には、ありがとう孔明さんと思わずにはいられません。
自分の目玉を食べた夏侯惇
隻眼の戦国武将というと伊達政宗が有名ですが、三国志ならば、やはり夏侯惇。
しかし、初登場したときからずっと隻眼だったわけではありません。曹操軍が兗州の争奪戦を、呂布軍と繰り広げていたときのことです。戦いのさなか、敵将の曹性が放った矢が夏侯惇の左目に命中。
ところが夏侯惇はそれをものともせず矢を引き抜き、「父からもらった精、母からもらった血、捨てられるものか!」と叫び刺さった目玉を食べてしまいます。
そして敵軍の中から曹性を見つけ出して、切り捨てたのでした。演義の中でもかなりインパクトの強い場面です。
儒教の考えが強く広まっていた当時では、自分の体を大切にすることは親孝行の基本でした。だからこそ目を失ってしまうことに、強い罪悪感を覚えたのでしょう。
とはいえ、破天荒すぎます。
「破竹の勢い」の語源
「破竹の勢い」
「(竹は、一節割れ目を入れると、次々に割れて行くところから) 猛烈な勢いで進むこと。
また、勢いが盛んで押さえがたいこと。」
―精選版 日本国語大辞典より
すでに蜀が滅んで、魏も晋に乗っ取られ、三国のうち残るは呉だけとなった時代のことです。このころの呉は最後の皇帝となる、暴君の孫皓が統治していました。
丁奉や陸抗、張政といった呉の名将たちはすでになく、滅ぼすなら今だと、晋の将軍杜預は侵攻を開始します。
杜預の見立てていた通り、呉軍の防衛線は弱体化していて、あっという間に首都の建業の近くまで兵を進められました。
ここで、疫病の心配もあるし、十分な戦果を挙げているから、もうこのへんで一度帰国するべきだという声が晋軍の中に上がります。
それに対して杜預は、
「今はもう竹の節に刀を入れたようなもの。手でも割くことができる」
と言って攻撃を再開。
その言葉通りに晋軍は怒涛の勢いで呉軍を破り、孫皓は降伏したのでした。
これが「破竹の勢い」の語源となっています。
はちみつを断られ、絶望して死んだ袁術
袁家という名門に生まれ、曹操、劉備、そして同族の袁紹とも勢力争いをした袁術。巧みな外交の立ち回りで諸勢力と渡り合いますが、傍若無人な性格の人物だったようです。そんな袁術に転機が訪れます。
自軍に保護していた孫策が、兵を借りる代わりに皇帝が代々受け継いでいた「玉璽」を袁術に差し出したのです。これは自分が皇帝になるべきだという天啓なのだ、と勝手に解釈した袁術。
誰も頼んでいないのに、皇帝に即位してしまいます。しかし皇帝の僭称と悪政で人心が離れ、曹操の攻撃の前にもろくも袁術軍は崩れます。袁術はわずかな家臣に守られながらの逃亡生活を強いられます。
貧相な麦の料理を出された袁術は、はちみつ入りの水はないのかと料理人に尋ねると、料理人は「もう水といっても、血ぐらいしか残ってませんね」とすげない返答。絶望の声をあげて、袁術は死んでしまったということです。
実にヒール役らしい死に様です。
三国志ライターたまっこの独り言
夏侯惇が自分の目を食べるシーンは本当に衝撃的です。
演義では五関突破をする関羽に打ちかかったりと猛将として描かれていますが、正史によるとどちらかというと内治に才能があったようです。
ずいぶんキャラが変わってしまいましたね……。
参考文献
『ろくでもない三国志の話』 うどん KADOKAWA
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