敵陣営だった曹操の軍師・程昱が「1万人の兵に匹敵する」と称賛した武将。
それが劉備の義兄弟、張飛です。『三国志演義』では「蛇矛」という武器を振り回す豪傑として描かれています。三国志で誰が最強かという話になると、一番に名前があがるのが呂布です。でもちょっと待ってください。
実は、張飛が最強なのでは……、というのが今回の記事のテーマです。
「張飛 最強」
などのワードで検索する人にもオススメ♪
関連記事:酒癖の悪さから失敗を起こす張飛は三国志演義の創作だった?
関連記事:【三国志酒盛り決戦】張郃VS張飛 勝つのはどっち?
無敗の張飛
武将の強さを測る一番わかりやすい目安になるのが、一騎打ち。演義では数多くの一騎打ちが演じられ、やはり呂布や関羽の圧倒的な強さは印象的です。
虎牢関の戦いでは、呂布が張飛と関羽と劉備を相手にするというシーンもあります。
あれ、それじゃあやっぱり呂布が一番強いのでは……。と思ってしまいますが、実は張飛と呂布はその後もう1度戦っているんです。このときの一騎打ちは決着がつかずにドローに終わっています。この徐州での戦いでは関羽も呂布と一騎打ちをして、同じく引き分けの結果になっています。
では義兄弟同士の張飛と関羽ではどちらがつよかったのでしょうか。演義の中で、関羽自身が曹操に弟の張飛の方が強い、と言っていますが、一騎打ちの内容を見ると、関羽は引き分けも多く、徐晃に負けたり(負傷中でしたが)と必ずしも常勝というわけではなかったようです。
一方の張飛はなんと負けなし!趙雲や呂布でさえ負けているのに(呂布は相手が複数でしたが)。一騎打ちですごすご帰る姿は張飛には似合いません。
長坂橋での仁王立ち
三国志の序盤から登場し、個性的な性格で目立つ存在の張飛ですが、物語の中で彼が最も輝いていたのが「長坂の戦い」です。このころ劉備は、遠い親族のあたる劉表に保護され、新野の太守を任されていました。しかし、劉表が死去すると、荊州に曹操軍が南下してきます。
真っ先に標的となった劉備は、諸葛亮のアドバイスを受けて、江夏に逃げることにします。ただ、自分を慕ってくれる民衆を引き連れていくことにしたので、なかなか行軍のスピードが上がりません。少数精鋭で追いかける曹操軍についにつかまってしまいます。ここで張飛の出番がやってきます。
劉備を逃がすために、わずか数十の兵とともに戦場に残ると、自分は長坂橋で曹操軍数千を1人で迎え撃ったのです。狭い橋だけに一度に張飛を押し包むことができない曹操軍は、彼ににらまれて動けなくなります。張飛は「いつでもかかってこい、相手になってやる」と一喝し、橋を切り落として劉備の後を追ったのでした。
張飛の真骨頂とも言える場面です。
猛獣とは違う顔の張飛
劉備の言いつけを破って城を取られたり、すぐにかっとなってしまう張飛。直情型で短絡的な武将のように思われますが、意外にも頭を使った策略で戦っていることもあるんです。先ほどの長坂の戦いでも、ただ武威をもって敵を退けたわけではなかったのです。
一緒に引き連れた数十の兵士に、張飛は近くの森に潜めるよう指示します。そしてがさがさと音を立てさせたのです。張飛に怯えたというのも曹操軍が退却した大きな理由でしたが、森の中にもしかしたら伏兵がたくさん隠れているかもと思わせた策略の効果もあったのでしょう。
いろいろな手を使って、相手の恐怖心を煽った張飛の頭脳プレーです。また、演義では劉備が蜀に侵攻したときにも策略によって敵将を捕えています。
老いてなお名将の厳顔にてこずる劉備軍。張飛は無理押しをやめて、別ルートから攻めるような情報を流します。この情報に飛びついた厳顔は、張飛軍の食糧部隊を狙って城から出撃します。待っていたとばかりに、張飛は厳顔軍を包囲。あえなく厳顔は捕縛されます。張飛は高圧な態度で劉備軍に加わるよう厳顔に言いますが、厳顔はきっぱりと断ります。
その凛とした老将の姿に心打たれた張飛は、縄をほどいて今度は懇願するように頼んだのでした。厳顔もそれに心打たれて劉備軍の一将軍として活躍するようになります。策略に加えて、人の心を動かす振舞い。武力一辺倒ではない張飛の総合的な武将としての強さがうかがえるシーンです。
三国志ライターたまっこの独り言
どちらかというと呂布と同じ野獣グループに入れられがちな張飛ですが、実はもっと、というと言いすぎかもしれませんが、もう少し、知性的な面もあるのではないでしょうか。ただ武力でトップクラスであっただけでなく、ほんのたまにだけど策略も使えた張飛は、やっぱり三国志で最強!?
関連記事:『三国志演義』での張飛の活躍にアカデミー賞レベルの演技あり!?
関連記事:どうして関羽と張飛はケンカする事になったの?三国志の素朴な疑問を解決!