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この記事の目次
魯粛、計画に反対する周瑜を殺害
ところが、劉備を担ぐ事には、盟友周瑜が不賛成でした。あの胡散臭い劉備が約束を守るわけもなく、いずれ孫紹を追放して呉を乗っ取ると見抜いたのです。
さらに、もし計画を強行するなら、諸葛亮と魯粛の企みを張昭に暴露して、あっちに加担すると言い出し脅迫しました。困った魯粛は周瑜に、諸葛亮も含めて3人で船上で極秘会談しようと持ち掛け、提案に乗った周瑜を船上でべろべろに酔わせ、船から突き落として溺死させ始末しました。
魯粛は周瑜が憎いわけでは無かったのですが、ここに至っては周瑜の提案は理想主義過ぎて、魯粛の容れる所ではありませんでした。
賈詡の漁夫の利計発動!
張昭の申し出に対し、曹操は虫が良すぎると思わないでもありませんでしたが、流石はかつて、自分の嫡男の曹昴を討ち取る計略を立てた賈詡を軍師に採用している男です。一滴の血も流さずに、呉が手に入るならと了承しようとしました。
ところがここで、お面軍師の賈詡が待ったを掛けます。
「どうせ呉では降伏派の張昭一派とは別に、周瑜や魯粛あたりが、諸葛亮と劉備を抱き込んで巻き返しを図っている事でしょう。今、張昭の降伏に応じれば、窮地に陥った魯粛や孔明は、広大な孫呉のどこかに籠りゲリラ戦を開始するのは疑いありません。わざわざ、呉の内輪もめの一方を、我々が血を流して掃討するのも無益な事。
そこで、張昭には降伏の条件として、魯粛の首を獲る事と含めるがよろしいかと存じます。辺境のうじ虫共同士、心ゆくまで殺し合った後、残った虫を殿が踏みつぶして呉を手に入れれば宜しいかと」
あまりにもワルな賈詡の進言に曹操も悪い顔をして頷き、張昭への降伏条件に魯粛の首の一文を明記して送付したのです。
呉で内戦勃発、曹操漁夫の利を得る
曹操の返書を受け取った張昭は、魯粛を暗殺しようとして失敗します。覚悟を決めた魯粛は劉備を大将に祀り上げて挙兵、そこに張昭派から離反した諸葛瑾、厳畯、歩隲等が加わり、果てしない内戦に突入しました。
巧妙な曹操は、わざと樊城や襄陽の警備を手薄にして劉備が呉入りをしやすくなるように仕向け、これを受けて劉備も張飛、関羽、趙雲、黄忠のようなオールスターを投入して、孫呉の地で戦い抜きます。
そして、劉備と魯粛は、張昭派の軍勢を打ち破り遂に武昌に入りますが、二年の戦いで軍勢は疲れ果てていました。この時を狙い、曹操が水軍を編制して長江を渡り武昌に迫ると、戦う力がない魯粛・劉備軍は崩壊。劉備や諸葛亮は逃亡し魯粛は捕らえられ斬首されました。
こうして、曹操は赤壁の敗戦から二年で国力を回復させつつ、悠然と呉を降す事に成功したのです。
if三国志ライターkawausoの独り言
if世界では、孫権の急死後、呉は張昭一派と魯粛・劉備一派に分かれいがみ合います。
そこで、軍師賈詡が、双方が心ゆくまで殺し合うように、張昭の降伏条件に魯粛の首を入れた事で、手のつけられない大混乱へと発展しました。何とか、張昭一派に勝利した魯粛と劉備ですが、秦嶺山脈があるわけではない呉では、曹操の水軍の侵攻を止められず、簡単に踏みつぶされ滅んだのです。
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