鍾会とはどんな人?実は兵を指揮した経験がない素人将軍【年表付】


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鍾会とはどんな人(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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兵士が攻めてきたよ!どうする姜えも~ん

姜維と一緒に戦う鍾会

 

1月18日の日中、胡烈の兵士が胡烈の子と軍鼓を打ち鳴らして出撃、これを合図に諸軍が応じ、命令もないのに一直線に成都城に殺到します。この時、鍾会は姜維に鎧を与えている最中でしたが、伝令が外の兵が城を襲っていると報告すると鍾会は驚き、

「兵が来て悪事をしようとしているが、どうすればいいと姜維に質問、姜維はただこれを撃つだけです」 と答えています。

kawauso編集長

 

いやいやいや、兵が攻めてきたどうしようって、、そんな将軍いますか?もう、これだけでも鍾会が小さな部隊さえ指揮した事がない事が分かります。そんなので、天下を獲れなくても要害に籠って守れば劉備(りゅうび)くらいにはなれるなんて、よくも言えたもんですね。

 

今頃になり、牙門と郡守を殺そうとするが手遅れ

殺害される姜維と鍾会

 

この頃になって鍾会は、兵を派遣して幽閉した牙門・郡守を殺させようとしますが、内側では、人が共に机を重ねて柱門としており、兵は門を切っても破れません。ぐずぐずしている間に、門外では梯子を倚せて登城して城内に突入し城屋を焼き、縄梯子(なわばしご)を下ろして、兵士は(あり)のように連なり城内に侵入、矢は雨の如く下り、牙門と郡守は各々屋根にすがって脱出し、その卒兵を指揮しました。

 

姜維は、さすがたたき上げであり、指揮も取れない鍾会の左右の者を率いて戦い自ら五、六人を殺しましたが、多勢に無勢、兵士は姜維を斬殺すると、今度は争って鍾会を殺しに赴いて滅多殺しにします。こうして、素人将軍鍾会は40年の生涯を閉じました。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

鍾会は、諸葛亮に信任された馬謖同様に、参謀であっただけで軍を率いた経験はありません。それが、司馬昭の好意で叩き上げの鄧艾を副官に付けられて、実際に兵を指揮する事なく、すんなり勝利したのが蜀攻めでした。仮に反乱が成功していても、鍾会は指揮が取れないので姜維に軍権を握られ、どこかの段階で殺害されてしまい、どの道、長生きできない運命でしょうね。

 

参考文献:正史三国志

 

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鍾会(しょうかい)・年表

魏志(魏書)_書類

 

所属:(ぎ)

姓名:鍾会(しょう かい)

:士季(しき)

出身地:豫州潁川郡長社県(えいせんぐんちょうしゃけん)

生没年:225年 - 264年3月3日

 

関連年表:

 

245年:20歳で朝廷に出仕

254年:曹髦即位に「関内侯」の爵位が与えられる

255年:司馬師に重用され、毌丘倹の反乱を鎮圧

257年:文欽・諸葛誕の反乱を鎮圧

262年:鎮西将軍・仮節・都督関中諸軍事を拝命

263年:司馬昭の命で蜀征伐に出陣。姜維を降伏させる

264年:反乱の兵を上げるも失敗、戦死

 

鍾会特集

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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