孫権が後継者問題を放置して起こった結果的に家庭内では終わらず家臣団まで巻き込んだ家庭内政争。
それは孫権が幼帝、孫亮を後継者としてからも終わることはありませんでした。
孫亮を皇帝としたことで、孫峻、孫綝と専横の時代が続いてしまったのですから……しかし孫峻はまだしも、どうして最後に孫峻は孫チンに後を託してしまったのか?
今回はその事について、考えてみたいと思います。
この記事の目次
孫峻の専横
まずは孫峻の専横時代をおさらいしましょう。孫峻は孫策、孫権からすると従兄弟の孫になります。そんな孫峻は二宮の変で孫権から信頼されるようになり、後事を託されます。
この際に孫峻は諸葛恪を推挙し、二人は二大巨頭として孫呉を支えた……のは短い間でした。
諸葛恪が自身の失敗から専横をするようになったために孫峻はこれを殺害。その一族まで抹殺して専横していくことになります。
一人残す
ただこの際に、諸葛恪と親しい、縁戚でもあった滕胤という人物だけは残し、昇進させました。孫峻がこの時に何を考えていたのかは分かりません。しかしこの後に孫峻自身も北伐を失敗、更に失敗。
失敗に失敗を重ねてしまった孫峻は周囲からの信頼を失い……あったかどうかは知りませんがとにかく失ってしまい、今までやった非道な振る舞いに罪悪感があったのか、疑心暗鬼に陥ります。
逃走、病死、諸葛恪
そんな疑心暗鬼に陥った孫峻。彼が驚きの行動を取ったのは256年。青州・徐州の攻略を行った際に、味方の(重要)呂拠が立派な陣形を整えていました。
孫峻「見事な陣形……これは呂拠に殺される!!」
……良く分かりませんが孫峻、単身逃走。帰ってきた孫峻は自らが殺した諸葛恪に夢で殴られ、そのまま病死。呉の専横した孫峻の、何とも言えない最期でした。
孫権が孫峻を起用した理由について
ここで少し、孫峻に孫権が後事を託した理由も考えてみましょう。とは言え、人格にとても難があるとは言え、孫峻は優秀です(特に政争)。また二宮の変で頼りになった相談相手ということもあり、孫権が信頼するのも無理のない事でしょう。
何よりも、孫亮の存在です。
孫亮は幼帝であり、間違いなくその支えとなる人物が必要な存在なのです。なので信頼できる人物として孫峻を起用したのは、そこまでおかしくないと思われます。
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