2020年も大詰めの12月11日、三国志ファン待望の映画『新解釈・三國志』が封切されます。
これまで多くの三国志映画を見て来たkawausoですが、今回はお笑い要素満載の三国志という事で、同じく三国志にお笑い要素を持ち込んだ記事を配信している人間として、特別に期待値が高くなっています。
特に、『新解釈・三國志』では、趙雲がイケメンでモテる事を自慢する変なヤツになっているとか…そこで今回は初心者にも分かるように、趙雲とは何者かを解説します。
関羽、張飛の後に遅れて登場する趙雲
趙雲は字を子龍と言い、元々は群雄公孫瓚の配下として、三国志演義の第7回に登場します。劉備や関羽、張飛は第1回に登場するので微妙に遅れて配下になるのです。
そして、面白い事に趙雲は、ここで劉備の配下になるわけではなく
「一度、公孫瓚に仕えたからには、期待外れだったと裏切る事は出来ない」として、劉備、関羽、張飛と意気投合しながら無念の思いで別れてしまうのです。
その後、趙雲と劉備は別行動をとりますが、それぞれ色々あり三国志演義28回で再会し、ここからは、劉備が死ぬまで配下として活躍します。
趙雲は、このように劉備に最初の出会いから仕えるのではなく、しばらくブランクがある変わった履歴の持ち主でした。
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趙雲をイケメンと書いた史料はない
『新解釈・三國志』では、EXILEの岩田剛典が演じるイケメン趙雲ですが、三国志において、趙雲はイケメンと書かれているのでしょうか?
答えはNoです!趙雲の容姿について書いた趙雲別伝には、趙雲は眉が太くて、目が大きく肉付きのよい顎の偉丈夫と描写され、これをそのまま投影すると西郷どんのような顔になります。
日本においても、江戸時代の絵本通俗三国志では、趙雲は張飛や関羽と同じ髭モジャの武将ですし、有名な横山光輝三国志の趙雲もナイスガイですが、顔はドカベンみたいで、イケメンとは言えません。
では、日本ではいつから趙雲がイケメンになったのですが、どうも、NHK人形劇三国志がその最初のようです。人形劇三国志の趙雲は、切れ長の目にキリっとした眉、高い鼻を持つ美丈夫であり、日本においては、この辺りから趙雲イケメンが始まったようです。
趙雲はモテるの?
『新解釈・三國志』では、イケメンでモテるキャラの趙雲ですが、それは事実なのでしょうか?
残念ながら、これも正史三国志や三国志演義にも、それらしきエピソードはありません。
しかし、趙雲が女性に不自由しなかったと解釈できそうなセリフなら趙雲別伝にあります。
趙雲が劉備の配下として江南を制圧し桂陽太守となった頃の事、元々、桂陽太守だった趙範という人物が、自分の兄の嫁で未亡人の樊氏を妻に勧めました。こちらの樊氏は絶世の美女でしたが、趙雲は辞退して決して受けなかったのです。
別の人が、あんな美女を妻にしないとは勿体ないと言うと、趙雲は、「趙範は私に攻められやむなく降っただけで、心から降伏したわけではない。用心に越した事はなかろう。それに、世の中に女は多いのだ。」
と答え、少しも後悔しなかったそうです。この世の中に女は多いのだというセリフは、別に美女1人を逃したくらいはどうという事もないというイケメンのセリフにも聞こえなくはないですよね?
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趙雲が鼻につく理由
『新解釈・三國志』の趙雲は、イケメンでモテる事を自慢して、劉備や、関羽、張飛に「鼻につくわー」と文句を言われていますが、これはあながち間違いでも無いかも知れません。というのも、趙雲は沈着冷静で謙虚な性格、劉備や張飛、関羽のようにカッとなったり、せず、1人だけテンションが違うのです。
このような理由から趙雲は、張飛のように部下にパワハラして殺されず、関羽のように外交で敵を侮り死に追い込まれる事もなく、劉備のように怒りに任せて戦争を仕掛けて大敗し、後悔しながら病死する事もなく、天寿を全うしています。
逆に言えば、趙雲は桃園三兄弟からは、明らかに浮いた性格であり、その事から趙雲は、劉備と親しく、厚く信頼されながらも義兄弟に入らなかったとも考えられるのです。
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