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三国時代以降の関羽の末裔
「新唐書」によると唐代に活躍した関播という人物が関羽の末裔であるとされています。関播は徳宗の時代に宰相となった人物で、後年は太子・李誦の少師になるなど名を馳せた人物です。
この他にも関平と趙雲の娘を親に持つ関樾なる人物がいます。関樾は正史、演義には登場しませんが、「続修江陵県志」に若干の記述があります。また、関樾の末裔とされる関朝泰という人物は、関羽最期の地となった当陽にある廟の祭祀をしていたと「世宗憲皇帝実録」にあり、関樾の末裔たちは代々江陵に住んだようです。
明王朝の成立から滅亡までが記載された「明史」には、関羽の末裔として関永傑という人物が登場します。世間の人が描く関羽像にピッタリの人物と評されていて、明が滅んだ李自成の乱で賊には降れないと討ち死にしている様も関羽のようです。
清代に編纂された「清史稿」では、わずかですが同時代に存在した関羽の末裔のことが記載されています。関居斌は関羽の出生地である解州の廟祀になり、関霨は洛陽の廟祀、前述したように関朝泰は当陽の廟祀にしたとあります。ただ、ここに出てくる人物たちは史書に記載があるだけで、本当に関羽の末裔であるかは分かりません。
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架空の息子たち
関羽には関索を始め、後代に創作されたと思われる息子たちがいます。本題とは少しずれますが、簡単に触れておこうと思います。関索は関羽の三男、作品によっては次男として登場します。演義、三国志平話でも少しだけ出てきますが、最も有名なのは説話の「花関索伝」。
物語の中では鮑三娘や王桃、王悦らの妻たちと共に益州や雲南の地を中心に活躍をするのですが、その辺りの地域には関索廟など名前にちなんだ旧跡が多々残っています。
他にも明代の三国志後伝には関謹、関防、関河、関山、関心といった人物が登場。関心だけが関索の息子で、それ以外は全員関興の息子です。
また、清代以降の「関羽文献」では関彝の息子に関夷がいて、その後に関敝、関朗、関康之、関攀に続いたとあり、この血筋から水滸伝に登場する関勝に続いたとも言われています。有名になると親戚が増えるといいますが、関羽の場合は血縁が増えていったようですね。
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関羽の一族は皆殺しにされた
関羽は樊城の戦いにおいて于禁と龐徳を捕らえていますが、龐徳は降伏を拒んだために関羽によって処刑されました。
その龐徳の息子である龐会が蜀攻略戦に従軍し、蜀を平定した後に関羽の一族を皆殺しにしたという内容が王隠著の「蜀記」に記載されています。ただ、「持ち帰った龐徳の遺体は生きているかのようであった」など事実とは思えない(龐徳は荊州で死んでいるため)記載があるため皆殺しの記述も信憑性に欠けます。
もう少し深く突っ込むなら関羽が処刑された際に家族はどこにいたのかは疑問が残ります。関羽は長らく荊州に居住しているので、普通に考えれば家族も荊州にいたはず。そう考えると残った家族は孫権に殺されているか、孫権に降伏をしているわけですが、関興が生き延びた点から孫権は家族を成都に帰したのかもしれません。
いずれにしても前述した末裔たちが各地にいることを考えると皆殺しにはされていない可能性が高いでしょう。
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関羽の姓は「馮」である説
正史においても関羽の字である雲長は改名したもので、もともとも字は「長生」という記述があります。ここからの派生で関羽の名字も「関」ではなく「馮」であるという説があるのをご存知でしょうか。
清代の学者・梁章巨が記した「歸田瑣記」では、関羽は元々「馮賢」という名前で字は「寿長」であり、郷里で人助けのために殺人を犯して出奔する際に潼関で名を改めたとあります。
この件は様々な議論を呼びましたが、関羽の出生地である解州(当時は解県)で関羽の墓が見つかったことである程度の決着が着きました。そこには関羽の祖先の名前などが記されていましたが、いずれも「関」姓だったのです。
関羽の祖父と父
前述した墓石には関羽の祖父や父の名前なども記載されていました。それによると祖父は「関審」、父は「関毅」で、文人の家系であったとされています。
三国志ライター TKの独り言
他にも関羽の生年月日は160年6月24日、関平は178年5月13日であるといった情報も記されており、中国ではこの内容を正式なものとして捉える人も少なくありません。
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