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賈南風の判断が、早い!
この際に司馬瑋の側近が「このまま宮中に乗り込み、賈一族を取り除きましょう」と進言するも、流石に司馬瑋はそれには応じませんでした。そもそも司馬瑋がここまで来たのは賈南風あってのこと、すぐさま切り捨てるように動くことはできなかったのでしょう。
しかし賈南風の判断は早かったのです。賈南風は司馬瑋が権力を握るのを嫌がって「司馬瑋が詔を偽造して司馬亮と衛瓘を殺害した」ということにしました。
そして賈南風の言いなりとなった恵帝・司馬衷は今度は司馬瑋逮捕の詔を出したのです。
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二人目の犠牲者・司馬瑋
一夜にして罪人となった司馬瑋、泣きながら冤罪を訴えるも死罪となり、処刑されました。享年21歳、司馬亮と衛瓘は名誉回復の盛大な葬儀が行われるも、司馬瑋はただの罪人で終わりました。
彼の名誉回復は賈南風らが処刑されて10年も経った頃です。賈南風という存在と手を組み、政敵を取り除こうとした結果、利用しつくされて捨てられた。司馬瑋のやり方も短慮ではあったと思いますが、何よりも印象に残るのは賈南風。
裏切らせ、利用し、終わったらすぐに処分する……悪女であると同時に、苛烈さが漂います。八王の乱はその名の通り「八人の王の生涯」がメインではありますが、そこに至ったキーウーマンはやはり賈南風ということを実に印象付けてくれる存在ですね。正に稀代の悪女……賈充お父さん見てる?貴方の娘ですぞ。
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司馬瑋という人物
因みに司馬瑋が司馬亮らに遠ざけられた理由の一つに、性格が粗暴だった、という経緯があります。確かに彼の人生を見ていると粗暴というか、考えが少し先走り過ぎているという面も見受けられます。
しかし見直して欲しいのは彼が享年21歳であるということ。彼は幼少期は賢く、物事を早く理解したとあります。それだけにやや知識や考えが先走ることもあったのでしょう。ですがもしかしたら、もう少し長生きしていればその性格も落ち着き、彼の良い面を引き出せたのではないか……とも思います。
彼の地元、楚の地では良く施しが行われたので、民は司馬瑋が亡くなった時とても悲しみました。司馬瑋は決して、粗暴さと短慮さで早死しただけの人物ではなかったのではないでしょうか。
また同時にそういった未来ある人物を死に追いやってしまった晋王朝時代……暗雲は、ますます黒くなるばかりです。
三国志ライター センのひとりごと
司馬瑋の死後、賈一族が政治に入ってくることになります。その一方で、張華などの優秀な人材も政治の場に入ってきました。こうしてひとまず落ち着くかと思いきや、そこに新たなる混乱のウェーブを巻き起こすのはやはり賈南風。彼女の起こす混乱の沼は、待て次回!とぷん!
参考文献:晋書列伝第十 列伝第二十九
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