項羽との戦い後、天下を統一した劉邦。その天下統一に至るまでは数々の苦難があり、多くの臣下たちの助けがありました。
しかし天下統一を成し遂げるや否や劉邦は疑心暗鬼に憑りつかれ、韓信を始めとした部下たちを粛清した。
……と、今回はこの粛清に関して、考えてみたいと思います。
劉邦の粛清
劉邦が粛清した、もしくはしようとしたとされる人物は、臧荼・利幾・韓信・韓王信・彭越・黥布・盧綰・蕭何・樊噲といった面々です。この内、蕭何・韓信は三傑と呼ばれた人物彭越・黥布は王としての功績の大きい人物。彼らは功績が大きく、力を持った人物だちです
ただし前述したように、この全てを粛清したという訳ではありません。またこれらの人物を見ていくと反乱を起こしていたり、内通していたりと、疑わしい行動を起こしていたこともまた事実です。
ここで粛清に付いて少し考えてみましょう。
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粛清とは?
粛清とはどうして行われるのでしょうか。良く「狡兎死して走狗煮らる」と言われるように、悪意を持って考えれば「天下統一を成し遂げた後は用無し」というのも理由の一つでしょう。
しかし、天下を取るまでに力を付けすぎた部下たちを、天下を取ったからこそ処分しておく。こう考えると粛清にはもう一つの理由も見えてきます。
後の世のため
それは「後の世」です。自分が生きている間は大人しくしているかもしれない、しかし後を子が継いだ後、自分が死んだ後の時代にはどうなるのだろうか。
力を持ってしまったあの配下が、何かやらかしたりしないだろうか。そう思ったからこそ、子のためにも今自分で取り除いておく。粛清にはそういった「後の世のため」という理由もあると思います。
それを踏まえて、韓信の粛清に付いてちょっと見てみましょう。
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韓信の粛清の主犯
韓信の粛清についてざっくりと話しましょう。劉邦の留守中に反乱を起こそうと考えていた韓信は、解放した囚人に呂后と劉盈を捕らえさせようとしていた所、これを密告されてしまいます。
これを呂后に相談された蕭何は策を持って
「劉邦の使者から討伐完了したと報告があった」と布告を出し、諸侯が祝辞のために次々集まってしまったために韓信は計画を中断、仮病で引きこもります。
しかし蕭何から「病気だとは思うけど疑われているよ。疑いを晴らすために祝辞を述べに参内した方が良いよ」と言われて参内、捕らえられた韓信はそのまま劉邦の帰りを待つことなく、処刑されます。
この事を振り返ると、韓信の粛清の主犯格は呂后と蕭何ということもできるでしょう。
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粛清の主犯は呂后?
さて劉邦の粛清の話をすると「劉邦は悪くないの!大体の主犯は呂后!」という意見も見ることができます。しかしそういうと「劉邦の粛清の罪を呂后にかぶせてる!」という意見も出てくると思います。
筆者の意見としては、全てではないにしろ「粛清に乗り気だったのは劉邦よりも呂后」だと思うのです。その理由として「粛清には後の世のためという理由」が、劉邦よりも呂后の方が大きいということがあります。
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