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劉備はホントは劉琮にも頼りにされていた?

2021年3月21日


 

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酔いつぶれる劉備玄徳

 

三国志の英雄、劉玄徳(りゅうげんとく)、その劉備(りゅうび)が8年の歳月を過ごしたのが当時、劉表(りゅうひょう)が支配していた荊州(けいしゅう)でした。

 

魔のトリオ攻撃が劉備を追いつめる!07 蔡瑁、劉備

 

この8年間で劉備は劉表の長男である劉琦(りゅうき)と親しくなり、逆に蔡瑁(さいぼう)一派が担ぐ劉琮(りゅうそう)とは疎遠だったと語られがちですが、実は劉備の能力は劉琮にも頼りにされていたようなのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備はホントは劉琮にも頼りにされていた?ズバリ!

kawausoさんの麒麟がキター!

 

では、忙しくて記事を読む時間がない人の為に、今回の記事の内容をかいつまんでズバリ!解説します。

 

1 劉琮は土地と軍事力を頼り、蒯越(かいえつ)韓嵩(かんすう)傅巽(ふそん)の降伏派に反発する
2 傅巽は3つの要因を挙げて曹操(そうそう)に勝てない事を述べ
その途中に劉備では曹操に及ばない事を引合いに出す
3 傅巽は劉備が曹操を防いでも、劉琮が劉備に及ばないので
荊州を乗っ取られると主張
4 劉琮は独力では荊州を全うできないと悟り曹操に降伏

 

曹操から逃げ回る劉備

 

このように曹操への降伏を主張する派は、劉琮が土地と軍事力を頼みにする事に対し、劉備の力では曹操に勝てない事を主張しつつ、逆にもし劉備が曹操を防いだら、劉琮よりも実力がある劉備により荊州は乗っ取られると警告しています。

 

二刀流の劉備

 

これを見ると劉琮は劉備を頼りにしていましたが、劉備が曹操に勝とうと負けようと、劉備に及ばない自分では荊州を維持できないと降伏派に悟らされて降伏を決意したのです。以下では、それぞれの内容を少し細かく見ていきましょう。

 

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最初は降伏する気がなかった劉琮

劉琮

 

病死した劉表の後を継いだ劉琮ですが、正史三国志劉表伝によると、曹操への降伏を勧める、蒯越、韓嵩、傅巽に対して、

「今、諸君と荊州の地を拠点として先君の偉業を守って、天下の状況を見極めようとしているのに、どうして降伏しないといけないのか?」

 

このように強い調子ではないにせよ、降伏に疑問を呈します。

カイ良、カイ越、蔡瑁に初めて会う劉表

 

推測するに、少なくとも劉表が生きている間は曹操への降伏はタブーであり、劉琮の即位も、曹操には仕掛けないまでも、様子を見るくらいで納得させていた可能性があります。それが劉表の死後に、降伏すべきと言い出したので劉琮はビックリしたのでしょう。

 

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赤壁の戦い

 

天の道理と劉備の頼りなさと脅威を強調

土いじりをする劉備

 

このような劉琮の疑問に傅巽は、「逆順には大体道理があり、強弱には定まった勢いがあります。家臣として主君を防ぐのは逆で、出来たばかりの荊州で国家を防ぐのは無理があり、劉備によって曹操に対抗するのは無理です。この3つの要素は、皆短く、王兵の鋒に抵抗しても滅びるのが道理です」

 

献帝を保護する曹操

 

かくの如く述べて、天命を持ち出し、曹操は献帝(けんてい)を擁し劉琮は臣下である事。曹操の版図は強大で、それに出来たばかりの荊州王国では対抗できない事。そして、劉備で曹操に対抗するのは不可能と力説しました。傅巽は唐突に劉備を出していますが、これは劉琮が劉備を防戦の頼みにしている事を見越しての予防線でしょう。

 

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劉備は人の下につかない!

張飛と劉備

 

ここから傅巽は劉備に期待している劉琮に以下の如く質問します。

 

傅巽「将軍は曹操と劉備ではどちらが上とお考えか?」

劉琮「曹操であろうな」

傅巽「では、劉備と将軍を計ってはいかがか?」

劉琮「わしでは劉備に及ばない」

 

この回答を引き出してから、傅巽は劉備では曹操に勝てないのだから、荊州を守り切る事は不可能だし、仮に劉備が曹操を撃退しても、劉琮は劉備に及ばず荊州は劉備に乗っ取られてしまう。と指摘し、どっちみち荊州を維持できないなら降伏して天寿を全うするのが上策と結論づけます。

 

関羽、劉備、張飛の桃園三兄弟

 

劉備は頼りになるかも知れないが、結局人の下風に立つ人物ではないので、国は奪われますよと傅巽は劉琮に焚きつけたわけです。そもそも劉表でさえ、劉備の才能を恐れて前線の傭兵隊長として置いておくだけで国政に関与させていないので、傅巽の指摘は間違ってはいません。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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