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王芬とはどんな人?党錮の残党にして合肥侯擁立事件の首謀者

2021年4月7日


はじめての三国志_ページネーション

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王芬とは?(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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合肥侯とは誰なのか?

洛陽城

 

一方で王芬が手際よくクーデターの証拠を隠滅した事で不明の事もあります。王芬が担いで皇帝に即位させようとした合肥侯とは何者だったのかという謎です。王族である事は間違いないとしても現在に至るまで合肥侯が誰を意味するのかが、まったく分かっていないのです。

 

kawauso

 

或いは合肥侯というのは何らかのコードネームであり、当人の名前は一部関係者の中でしか共有されていなかったのかも知れません。いずれにせよ、クーデターが成功したら霊帝に代わり即位するはずだった王族の名前は、こうして歴史の闇に沈む事になったのです。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

こうして未遂に終わった合肥侯擁立事件ですが、それから5年も経過しない内に違う形で成し遂げられました。中常侍が先手を打って外戚(がいせき・)何進(かしん)を殺害した結果、逆上した何進の子分である袁紹や袁術(えんじゅつ)が宦官を皆殺しにして報復を果たしたのです。

 

ミニチュアで遊ぶ董卓

 

ただ、それで生まれたのは清流派官僚の天下ではなく政治の空白であり、やがて董卓(とうたく)が洛陽に入城し後漢王朝は崩壊の時を迎える事になりました。

 

参考文献:正史三国志

 

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合肥侯擁立事件

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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