こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
合肥侯とは誰なのか?
一方で王芬が手際よくクーデターの証拠を隠滅した事で不明の事もあります。王芬が担いで皇帝に即位させようとした合肥侯とは何者だったのかという謎です。王族である事は間違いないとしても現在に至るまで合肥侯が誰を意味するのかが、まったく分かっていないのです。
或いは合肥侯というのは何らかのコードネームであり、当人の名前は一部関係者の中でしか共有されていなかったのかも知れません。いずれにせよ、クーデターが成功したら霊帝に代わり即位するはずだった王族の名前は、こうして歴史の闇に沈む事になったのです。
関連記事:許攸とはどんな人?自慢癖が身を滅ぼした官渡決戦のキーマン
関連記事:本拠地の兗州でクーデター発生!親友の裏切りにあった曹操
三国志ライターkawausoの独り言
こうして未遂に終わった合肥侯擁立事件ですが、それから5年も経過しない内に違う形で成し遂げられました。中常侍が先手を打って外戚何進を殺害した結果、逆上した何進の子分である袁紹や袁術が宦官を皆殺しにして報復を果たしたのです。
ただ、それで生まれたのは清流派官僚の天下ではなく政治の空白であり、やがて董卓が洛陽に入城し後漢王朝は崩壊の時を迎える事になりました。
参考文献:正史三国志
関連記事:霍光とはどんな人?謙虚なキングメーカー後世の手本となる